■熊本日日新聞 2017年6月11日(日) 「なぎさ・・・」
■第16回にもわたる、1つの連載が終了しました。「闘争は問う」というテーマで、私ら、50代が知らない闘争の歴史が紹介されました。最終回の見出しは、「他人ごとにつきあう」というものです。
文中に、こんな文言があります。
「水俣病はしょせん他人ごとである。その他人ごとに、日本の生活民はどれだけ徹底的につきあうことができるのか。これは試みるに値する実験ではなかろうか。」
■心にささる文章です。これは、全ての差別問題についても、同じことが言えるのかも知れません。いじめもそうなのかもしれません。「なぎさの向こうに」という特集名の「向こう」とは、どこを指すのでしょうか。「他人事」でしょうか。意味深な言葉です。
■『チッソは私だった』、私も読みました。矢内ブラザーズも登場されました。いろいろな方が、16回で登場されました。水俣病闘争というと、川本氏が浮かんできますが、複数回、登場されました。また、熊本市内では「カルガリ」というカフェが登場しましたが、何のつながりか、私もここへ足を運んだことがありました。晩年は、地名研究会の打ち合わせ場所にもなっていて、それで私も行ったことがあったのですが、水俣病問題ではかなり有名な場所だったということがわかり、感慨深げでした。いずれにせよ、今回の言葉を再確認していく場になったことでした。