■熊本日日新聞 2017年2月10日(金) 「国衆一揆・・・」
■2月12日(日)に、和水町において、「戦国肥後国衆まつり」が開催され、その中で、「田中城の戦い」が再現?されます。私は、この国衆一揆のことを明治図書の「社会科教育」2016年7月号に原稿を書きましたので、そこから一部紹介したいと思います。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
1.陣取図から
子どもの遊びに「陣取り」というのがある。昼休みに「陣取り」をして遊び、戦国時代の学習に入っていきたいものである。(省略)
上は、熊本県和水町の「田中城」に関する設置板である。ここに、仕寄陣取図が紹介してある。山口県文書館にアクセスすると、この図が閲覧可能である。
子どもたちには、現代の文字やルビを横に付け加えて提示したい。次のようなことを説明する。
■秀吉が送り込んだ肥後国主たる佐々成政による検地の断行で、肥後の武士団(国衆)は「肥後国衆一揆」(1587年)を起こす。その一つが上記の和仁氏(田中城)攻めの陣取図である。図には小早川秀包・安国寺恵瓊(毛利勢)、鍋島氏等の九州の豪族の名前も挙がっている。仕寄とは、攻め寄せる場所であり、その記録も残っている貴重なものだそうだ。■
この後、太閤検地とは何か、調べさせていきたい。「刀狩令」である。なお、和仁氏は36日間の籠城後、一族は滅ぼされた。佐々氏に代わり、加藤清正が肥後へとやってくるという歴史になる。写真の小高い丘(矢印)は田中城跡である。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
■以上です。興味のある方は、ぜひ行ってみられるといいかもしれません。
記事には、寸劇の模様が描かれております。参考までに!
![]() |
|||