■熊本日日新聞 2016年12月29日(木) 「国重文・・・」
■参勤交代に使われた「波奈之丸」(海御座船:全国唯一)の「舟屋形」(ここだけ現存)部分が補修されるという記事です(正式名称「細川家舟屋形」)。これだけ大きく写真に写されると、授業に使わざるをえませんよね。
【発問】この船は海御座船と呼ばれ、参勤交代に使われました。さて、どんなコースで江戸まで行ったのでしょうか。
まさか、有明海からとなると、大幅に迂回しなきゃなりません。実は、一新小校区の、YMCAの一角、札の辻から旧国道57号線を北上し、現在の地震での迂回路(ミルクロード)を登り、二重の峠から下って内牧へと出て、お茶休憩となります。その後、滝室坂の手前、旧坂梨小学校周辺の茶屋街(坂梨宿場通り)で1泊目となります。その後、国道の横を通り、JRに沿うように?、急峻な山道を登って、竹田方面へと向かい、野津原の今市街道(長い石畳が残されております)を通って、大分は鶴崎の法心寺(細川藩の飛び地:現在でも清正信仰が熊本以上にあります)へと向かい、ここから船で瀬戸内海を渡り、神戸へと到着、その後は一路東海道へと向かいます。総勢平均500人、1ヶ月の行程となります。帰りは、中山道から神戸へと降りてきます。後は、同じルートとなります。
豊後街道を使わない時は、豊前街道(「御馬下の角小屋」四方寄町:国道3号線)を使いますが、主に薩摩藩が使いました。こうなると船は使いません。主には豊後街道でした。
ルートを考えさせることで、当時の交代の辛さ、お金の消費、その一方で、街道が整備されていったこと等々をアクティブに考えさせたいものです。
鶴崎の港
鶴崎の法心寺(加藤清正をまつる)
坂梨からの豊後街道
野津原の石畳(今市街道)
的石(二重の峠を下りきった箇所)
■この船が残っていたおかげで、陸路のみではなかったというのがわかりますよね。それにしても、日本の総理大臣は、米国への参勤交代が多い?ようですね。