■熊本日日新聞あれんじ 2014年4月19日(土) 「鏡町」

■前回、通潤橋を紹介しましたが、今回は熊日別冊の「あれんじ」からです。何と、今回は、新田開発です。江戸時代後半、諸藩が財政難に苦しむ中、肥後藩は、新田開発という道を進みます。それが八代平野の干拓事業です。この鏡町は、中でも大きなものでした。

■文政農協という文字が時代を反映しています。文政年間です。記事では、文政神社というのが紹介してあって、ここに惣庄屋、鹿子木量平(道徳の副読本に登場)が祀ってあるということです。ここにはまだ行ったことがないので、また時間を見つけて行ってみたいです。この辺りは、地名研究会の会員だった頃、取材しまくり、授業の様子を発表したことでした。これは、ウェブでも紹介しているので、ぜひ見てください。

おざや節という踊りもあり、CDも出されております。本もあり、教材化しやすいと思いますので、連休あたりに行ってみられることをお勧め致します。