昭和61年前後の水俣湾のヘドロ処理 
■熊本日日新聞 2013年8月25日(日) 「新生面」

■この熊日のコラム、たまに教材となる台詞が登場します。私の最大の収穫だったのは、いつだったか、もうずっと前、25以上も前の話、「水俣病は人が人を人と思わなくなった時から始まった」というコメント、この台詞を知った時、これを言った水俣病の患者さんの本を読んだりして、教材開発を進めていったことがありました。

■そして、今朝、金子氏の「海の魚はかわいそう」に関するコメントでした。氏は、最後の行でこう言われています。「いたずら一つしないのに こうして私に食べられる」と。
 私に食べられるから「かわいそう」と結んであるわけですが、コラム執筆者は、こう言います。
でもね、人に食べられないようになってしまった魚だってかわいそうではないですか
 今回の汚染水問題がテーマなわけです。

■まさしくそうだ!と感じました。このコラム、最後は石牟礼道子氏の「苦海浄土」の詩が紹介してありました。結局、水銀が放射能にとってかわっただけなのでしょうか? 水俣病ほどの被害にならないことを祈るのみです。