■熊本日日新聞 2013年4月29日(月) 「エネルギー・・・・」

■これは、鑑賞教育に使えそうです。まず、筆者が冒頭、こう言います。
「絵はどれも縦長で、大人の背丈を超えるほど大きい。それらを順々に見ていく経験は、大窓が並ぶ廊下を歩くのに似ている。」
 この文章に釘付けでした。つまり、窓=ウィンドウというのは、各世界に入っていく入り口だったんだーとつくづく感じたからです。絵の場合は、枠組なのでしょうか、その作品の世界を読み解く「入り口」だったんです。当たり前と言えば当たり前、私はどうもそう感じなかったので、新鮮な感覚がわきました。

■じゃ、出口があるはずですよね。ありました。筆者が中程でこう言います。
「絵に近寄ると、額縁のガラスに自分の顔が映る。歯をむいてもがく人物像と、神妙な顔をした自分自身の存在がにじみあった瞬間、向こう側の世界と無縁ではいられなくなる。」
 その世界に入り込み、自分と向き合った瞬間が、出口なのでしょう。そして、また、入っていくのかもしれません。その繰り返し、絵を読み込んで行くのかもしれません。

■この絵画の絵師はフランシス・ベーコン氏、ぜひ今後の鑑賞教育に生かしていきたいと思います。