ハノイ旧市街のハンマー通り

 

今日は、2月10日の小生ブログの続編に近い話です。文章の途中に金額が出てきますが、1995年当時の換算です。

 

ベトナムの首都ハノイ市にあるホアンキエム湖から北西に旧市街を7~800メートル行ったところに、ハンマー通り(Hàng Mã)があります。旧市街の36通りの一つです。日本語風にわかり易く説明するなら、紙屋町とでも表現すれば、納得していただけるかと思います。

 

ここは、冠婚葬祭で使う紙装飾用の奉納品を販売する伝統的な通りでして、おもちゃや紙製品、特に奉納品が販売されている有名な通りです。500年以上も前から紙製品が販売されていると言われていますが、真偽のほどは不明です。ここでは、冠婚葬祭で使われる冥銭なども多く販売されています。冥銭(めいせん)とは、副葬品のひとつで、金銭、または金銭を模した物。これらの副葬品は「あの世でお金に困らないように」や「三途の川の渡し賃」などの理由によって死者と共に埋葬や火葬などされるものです。

 

そして、マー(Mã)とは、法事に使う冥器のことです。

…唐代に冥器の使用は頂点に達し,他方冥器の数量,華美に対して制限が加えられたそうです。陶製器は宋代以後しだいに衰退し,代わって紙製冥器(冥具ともいう)が流行し始めたのは明代ころからと思われる。紙製冥器は一部を棺の中に入れる場合もままみられますが,墳墓には収めず,御霊(みたま)送り,出棺,埋葬などの際に街頭や墓前で焼くのが習慣のようです。(出典:株式会社平凡社世界大百科事典 第2版)

 

通りには冠婚葬祭に使う色とりどりの紙細工が並べられ、旧市街で最も華やかな通りの一つです。先ほども書きましたように、マーは、法事などに使われる冥器(故人があの世で苦労しないようにと、紙でお金や家などを模して作ったもの)という意味で、昔から冠婚葬祭などに使用される紙製品が数多く作られ、販売されていたのです。

 

現在、この通りでは中国やベトナムの地方都市で作られたものを仕入れて販売するだけの店が多くなったが、獅子舞の張子の被り物を昔ながらの手法で作る店も残っています。この通りが一番賑わうのは、中秋節の時期。この時でないと手に入らない提灯や張子のお面などが軒先に無数に並び、その華やかさと共に、喧噪も一段と増すのです。Vui Tết Trung Thu  幸せな中秋節を・・と言う意味ですが、ベトナム語の最後の3文字で、中秋節を表わします。

 

ある老婆がシクロの紙製の冥器を買いました。

ある人が興味本位で訳を聞くと、「自分の夫は生前シクロこぎだったから、買ったんです。」と言った。

 

生きている間ずつとシクロをこぎ続け、死んでからやっとシクロから解放されたと思いきや、またシクロが送られてくるとは、苦しみこの上ないではないかと、質問した人は溜め息をつきました。

 

実に“あの世の人"の要求を満たすために、紙製の冥器の発展は止まること知らず、です。以前は衣服や靴といった幾つかの簡単なものを象徴するだけの意味合いであつたのが、今ではないものがないくらい多様に、しかも本物そっくりに作られるような時代になったのです。

 

軍隊帽、ベトナム戦争によく使われたAK47式銃(AKは、(ロシア) アフトマート・カラシニコヴァAvtomat Kalashnikovaの略。旧ソ連の技師カラシニコフが開発した自動小銃。アフトマートのアフトは「オートマティック」の意味。カラシニコフは、銃の発明者の名前です。「1947年ソ連軍の制式となる。取り扱いが簡単で、故障が少ない。弾倉には30発装填できる。あの世でもまだ戦へと言って、こんなものを送るのだろうか?) 召使いつきの豪邸、TOYOTAの車、バイクのホンダドリーム…。この世で必要なものはあの世でも必要である、というのがベトナム人の気持ちの中の大原則です。

私の友人が母親に供えるために飛行機を注文しました。それは、“早く飛んで来れるように”という理由からでした。

 

売るための商品ではあつても、冥器には定価はあってないようなものと、ある意味では言えます。そこには安い高いの概念がないからです。金持ちなら邸宅、冷蔵庫、テレビ、ビデオ、新型の車…清貧な庶民なら、自転車や普通の家などを買います。

 

作る人間が勝手に値段を付け、買い手もほとんどは値切らない。もちろん、値切る人もたまにはいます。あの世の人に送るものなのにケチなことを言っていられないからです。

 

普通のものなら1万5000ドンから2万ドン。しかし注文して作ってもらうとその10倍、15万ドンから20万ドンにもジャンプします。1メートルはあろうかという本物そつくりのホンダドリームは40万ドンから50万ドンですが、それもよくある話です。しかもすべては紙だけでできているのです。

 

紙製冥器は燃やして初めてあの世に送られます。1人が一番安いものを買ったとしても3万ドン、それに何百何千という買い手の数を掛けみてください。その金額が全部燃やされて灰になるのです。生きている人間の生活が困難である―方で、実際にいない人間のために恐ろしいほどの金が使われていきます。

 

しかも現在、この紙製冥器の収入には税がかかりません。地域の発展に少しも貢献していないのは残念です。