15年前のベトナムの医療は非常に水準が低かった。
日本の医療水準は世界最高ランクであるから日本人にとってその低い水準は目に余るものがある。
そもそもベトナム人とって病院というところは「治療するところ」ではなく「死ぬところ」である。
何故かと言うと医療保障が無いに等しいベトナムでは金が無いためにある程度までは我慢して、痛くてたまらなくなってから初めて病院に行くのである。
つまり予防と言う意識が全くなく、病院は末期になっていく場所なのだ。
そもそもベトナムでは病院の数自体が国民の数に比べて非常に少ない。
そして医師のレベルも医療機器のレベルも非常に低いのが現状である。
一度こういうことがあった
俺の雇っているお手伝いさんがある日こう言ってきた
「胡志明さん、来週日本に帰りますよね。ぜひうちの娘に日本のガンの薬を買ってきてください」
「何?お前の娘がガンなのか?」
「そうなんです昨日初めて田舎から出てきてホーチミンの病院に行ってレントゲン写真を撮った結果がこれです」
と父親が俺にレントゲン写真を見せた。
医者でもない素人の俺が見ても胃に500円玉の大きさの穴が開いているのが分かった。
「ここまで胃に穴が開いたら本人は痛がっているだろう?」
「そうなんです。痛さに耐えかねて毎晩大きな叫び声をあげて寝ることができないんです」
その日以来住み込みのお手伝いはガンにかかった娘を連れてきていた。
田舎から連れてきていたホーチミンの病院に通わせるためである。
そこで俺も初めて毎晩彼女が苦しみのあまりに叫ぶところを耳にした。
傍には彼女のボーイフレンドも心配そうに座っている。
お手伝いさんの部屋は同じ敷地内にあるから毎夜その苦痛に満ちた声を聞いた。
そして俺は日本に帰りガンに効くような薬を見繕ってベトナムに帰ってきた。
そうするとお手伝いさん夫婦は
「遅かったです。娘は死にました」
と俺に伝えた。
「ガンの進行がそんなに早かったのか?」と俺が尋ねたら
「実は毎夜の痛さに耐えかねて薬を飲んで自殺したのだ」と言う 。
20歳ちょうどの若い娘が初期に病院に行けずに簡単に命を散らすと言う現場を俺は初めて味わった。
我々日本国民は非常に高度な医療技術と医療保険制度によって日々の生活を守られていることを肝に命じた事件であった