今回は本や日記に関係ないことを書きます。
書かないとなんだかいつまでもこの気持ちが浄化されないような気がして。
 
私はこちらに移住してそろそろ20年近くたちます。
その間に日本ではいろいろなことがありました。
父が会社で任された大事業、あと少しのところで社長の代替わりで重役が一掃されて、父もその一人として退職させられました。
表向きは定年退職でしたが、その前にこの大事業を終わらせてからと考えていた父にとっては本当につらいものだったと思います。
その後親戚家族の問題などもあり、私の両親は家を手放すことになりました。
 
私たちも私たちの生活に一生懸命だったので、母に残りのローンを払ってほしいといわれたとき、断るしか他ありませんでした。
私は何度か私に家がなくなっても、いいよね?と電話をもらいました。
 
あの時、なぜ私が家があってほしいと言えるでしょうか?
日本を離れ、金銭的にも距離的にも援助することが出来ない私が、意見を言えるでしょうか?
両親が先の先を考えて貯めたお金は、家のローンにあててしまうと、生活はどうなるのでしょう?
 
「お母さんたちの好きにして、お母さんたちが買った家で、お母さんたちの人生なんだから、生きやすいようにしてくれたらうれしい」
と私は伝えました。
 
その後数年ぶりに帰国した家は、我が家とは言えない、おばあちゃんちでした。
町並みも何もかも見慣れない、どこか未だに旅行をしているような感じ
 
それ以来、私にはここは私の場所といえるところがなくなってしまったような気持ちがしました。
 
 
しかし昨年私の子供の一人が18歳を迎え大人の仲間入りをしました。
今までに何度か引っ越しを繰り返し、今の家に来たのはほんの10年ほど前のこと、
ここですくすく育ち、下の子もあと数年で大人の仲間入りです。
なんとなく、私は「自分の居場所が」なんて言っている立場の人間じゃないのかもしれないな。
っとふと気が付きました。
 
 
ではなぜあんなに私はあの家に固執していたのかしら
本当は家じゃなく、あの時援助できなかったことを悔やんでいたのだと思います。
そして、私の日本の思い出はこの家を中心として起こったことだったから。
 
 
今、子供たちが成長して、あの時援助して金銭的に大変になっていたら、日本への一時帰国もできなかっただろうし、私がしたかった子育てもできなかったでしょう(私も働かないといけなかっただろうし、生活も大変になったでしょう)
 
今大きく育った子供たちを見て、私のあの時の判断は正しかったのかなと感じます。
 
 
先日話題になったグーグルビユーで当時の実家を初めて見ている勇気が出ました。
するとどうでしょう、もう10年以上前の写真で、標識も当時のままでした。
ココだけは時が止まっていました。
今にも母が家で掃除機をかけている音が聞こえてきそうです。
 
 
懐かしい私の日本がそこにはありました。
 
 
この写真もきっとそのうち変わるでしょう。
でも私はたぶん大丈夫な気がします。
たぶん。