それからが大変だった。
リノさんが俺をどこに連れて行ったかといえば、それは──文具売り場であった。一店舗だけではない。店を出たらまた次の店へと、およそ普通の市民としてはありえないだろうコースをたどり、延々と筆記具コーナーを見物したのだ。休憩、と言ってカフェに入って一息、なんてこともなしに、ずっと。飽きもせずに、何時間も。
今まで、どう間違えても、文具売り場めぐりツアーなんて愉快なプランを一度たりとも実施した経験のない俺としては、まず、街のあちこちで文具が売られているという事実、それ自体が新鮮な発見だった。
先に「文具店めぐり」ではなく「文具売り場めぐり」と言ったように、文具は専門店以外にも、あちこちに売り場を持っている。小さな文具店から、全国チェーンの雑貨店、デパート、書店、コンビニ、ドラッグストア。コーナーの大小はあれども、基本的な筆記具は押さえられていて、だからこそ我々は普段、出先でうっかりペンがないよというときにだって、慌てず対処することができるというものだ。
そして、ワンフロアすべてが文具コーナー、というような広大な売り場は、改めて見ると、すさまじい種類の競合品がひしめきあっている戦場なのだった。意識しなければ、同じようなペンが棚に並んで、特に目を留めることなく通り過ぎてしまう場所。しかしながら、何らかの目的をもって、たとえばある特定の1本のペンを探すとなれば、たちまち各メーカーの各製品の各色のバリエーションあふれる大海に放り込まれ、のまれてしまう、底知れぬ場所。
人は、意識せずとも、見慣れたものに目がいってしまう性質があり、だから我々は人ごみの中から顔見知りを見つけることができるわけであるが、シャープペンシルの棚からジェイクラブシャープペンシルを探すのは、東京ドームの満員の観客席からクラスメイトを探すようなものだといっても過言ではない。過言かもしれないが、気分的にね。
ところで、俺は7年前の.e-Tintを除いて、筆記具の衝動買いをすることはなく、いつもマイ定番を指名買いするという方式を貫いていた。新製品が出ていないかなあと思って売り場をうろつくことはなく、よりよいペンを求めて、目に留まったものを試し書きしてみる、なんてこともなかった。
しかし、そういう俺とは違って、売り場ではじめて購入の意思決定をする人々も、もちろんいるのであって、いるどころか多数派なのかもしれなくて、だとしたら、これだけの種類の中から1本を選ぶ決め手はいったい、何なのだろうか。
全種類を端から試すのは物理的に難しそうだから、まず手に取るかどうか、そして試し書きしてみるかどうか、比較してみるかどうか、などと段階的に選別が行なわれているはずであって、その判断基準とは、いかなるものなのだろうか。
どのようにして、選んでいるのか。
──選ばれるためには、どうしたらいいのか。
「なにぼーっとしてんのサンダー、こっちこっち!」
珍しく、ぺんてる社員っぽく販売戦略に思いを馳せかけてみたりしたというのに、場をわきまえない元気な声によって雲散霧消である。世紀のアイデアが、ビビビッと浮かぶところだったかもしれないシーンで、まったく罪な先輩だ。まあ、ぼーっとしていたのは事実ですよはい。同じようなものの延々とした繰り返しっていうのは、催眠状態を誘うものなのです。
呼ばれるままに、油性ボールペンの一画へと向かう。これまで、あまりまじまじと見つめたことはないコーナーであったが、周囲を見回して、俺は思わず嘆息していた。
「よくぞ、こんなに……」
物珍しげにあちこちに視線を向ける俺の挙動に、リノさんはあきれたようにつぶやく。
「ふつう、メーカーに入ったら、売り場を気にして他社製品にも詳しくなるものなんだけどねえ。文房具屋さん、行かないの?」
「特に……興味はないです。自社製品は覚えましたけど」
「まあ、そのうち自然と詳しくなるわ。イヤでもね」
気のせいだろうか、最後の一言に妙に力を込めて言われた気がする。「油性ボールペン嫌い」発言が未だに尾を引いているのかもしれない。いや、そんな積極的に嫌いとか、そういうことはないんですけどね、なんて今更言うには遅すぎる。もう油性嫌いキャラをつき通すしかないんじゃないか俺。それってかなり異端じゃないか。先が思いやられるね。