ソイソース!!!!・・・・お醤油について・・・「湯浅醤油」考・・・ | 六本木漂流

ソイソース!!!!・・・・お醤油について・・・「湯浅醤油」考・・・


あそ花は以外にグルメなとこがある・・・・お醤油はこの東京にでてきても地元のものにこだわりわざわざより寄せている・・・・


キッコーマンとかまずいもん・・・・納豆食べるのは醤油が命です・・・


余談だがかの伊藤博文もグルメな逸話に事欠かない・・・・

下関条約を締結する際地元の人は当時河豚をあたるのでたべなかった・・・がかれはとめるのも聞かず平気でたべた・・・・

下関の春帆楼・・・おいしい河豚がいただけます・・・茶碗蒸し3000円なり・・・・とか東京の豆腐がまずいてなことで地元の豆腐屋をわざわざ東京に呼び寄せたべてる・・笹並豆腐・・・くったよ!!!!・・・・まー普通・・・・当時の豆腐屋中延でしょあのしとの家・・・

・・・・のこってないかな~~~と今度おぼえてたら探す・・・



さればでござる・・・・・


醤油は米味噌とともに日本人の食生活に欠かせないものであるはずなに歴史は以外に浅い・・・・・・・・


以下引用にござる・・・湯浅町紹介ページより


◎醤油と金山寺味噌のオモシロイ関係?

 醤油と金山寺味噌、どの様な関係があるか、皆様はピンとこないかもしれません。実は醤油とは、味噌から生まれた物なのです。つまり、親子の様な関係?です。

◎湯浅しょうゆの起源

 湯浅町に伝わった当時の金山寺味噌は、水分が多くびっしょりとしたものだったそうです。醤油はこの味噌製造の際、樽底沈殿した液汁、桶の上澄みに出てきた液汁等をすくい取って舐めてみるとこれが美味しかった。それでは、これを調味料として煮炊きに使用すればさらに美味しいということで、その製法が発達してきたのが、湯浅醤油の起源であると云われています。


◎湯浅しょうゆの発達

 
いつ頃、醤油というものが生まれたのかは、定かではありませんが、室町時代頃から湯浅醤油として商品化されていたようです。江戸時代には、徳川御三家紀州藩の保護を受け湯浅町の中心産業として発展してきました。文化・文政時代には1000戸しかなかった湯浅町に92軒の醤油屋があったと云われています。その間も関東銚子をはじめ日本各地にその製法を伝えました。
 今では、町内で数軒の醸造業者残るのみとなっていますが、伝統的な手作業による製造方法は、脈々と受け継がれています。
 工場で大量生産された醤油ではなく、厳選された素材を丁寧に手作りした湯浅醤油は、刺身に、冷や奴に・・・・etc、かけ醤油として食べると最高です。



そう味噌から生まれた醤油・・・室町時代と以外に最近・・・・湯浅醤油はその起源といわれておりまする・・・・


今日ポロロッカで・・・その湯浅醤油を発見300ml 498円なり・・・即こーにゅーどんなお味か??????


いずれにしても銀閣寺の同仁斎が日本建築の原型になったように・・・室町時代は以外に今日の日本を形創るものがおおいね!!!!