なんだかなあ。

最近すべてのメール機能が壊れてるんじゃないかと思うくらい,人との接触がない。

なんでだろ。



一番に思うのは,僕が人と関わることを軽視しすぎた,ってことかもね。


誰かと一緒にいることも,テレビを見ることも,音楽や趣味をやることも,全部人とのかかわりの中にあるのかな。


じゃあ,誰とも関われていない僕は,何もすることがないのかな。

スマホにしてワンセグもなくなり,ついに脱NHKの条件がそろって,今日電話する。

お決まりの確認をするらしく,一応全部パーフェクトにクリア。

次の代のケータイも,ないといいな,ワンセグ機能。

手続きが終われば,返金があるらしい。


NHKもスクランブルかければいいのにね。

公共放送だからなじまない,というのもわかるけど,こうやってテレビ自体を避けるようになれば,元も子もない(主張のような緊急の情報配信もできない)気がする。

まあ,最近テレビもみないからどうでもいいのだけど(最後は見れないだったけど)。


液晶テレビ買おうかな(地デジ対応していないの)。

DVD見るくらいには使える気もするし。



夏休みも終わってまた明日から仕事だあ。

という前に,午後くらいまでお仕事にいってみたけれど。

どうしても,まだ基本路線が出ていないからぶれるなあ。

紀要レベルの内容でよければ,確かに論文のネタは見つかったけれど。

まだまだライフワークは見つからず。

困ったもんだな。



中にはすでにネットに幻滅を抱いている人たちもいるけれど,僕らは新しい形でつながらなくちゃいけない気がしている。

単に情報や他者との交流を遮断して子どもを守ろうというやり方は,うちの学部も加担しているけれどよくないと思う。


悪意は間違いなくあるさ。

だけど,なぜ善意は信じない。

僕らの親は,古い世界は,完璧だったのか?

悪いところも無く,悪意もなく,理想的な世界だったのか?

そうではないはずだ。


子どもは子どもで悪さをする。

盗みもすればいたずらもする。

大人だってそういう人もいる。

だけど,そういう雑多ななかでの交流だけが,人間を人間にしてきたのではないのかな。

悪さをみて,ただそれを真似するだけというほど単純じゃない。

そういう複雑な人間関係や社会化の機能は,無菌室的な環境では得られないし,それは大きな損失だ。


道路沿いの道端で,普通に立小便をするくらい雑多で倫理的とも限らない社会にすんでいたほんの数十年前の人たちが,ここまで潔癖症に子どもと「子ども」に不適切な情報や交友関係を作らないように腐心している理由が,まったくわからない。

なんか最近家電ブログのようになっているけどw


シャープのSH-13Cを買ってしまった。

いろいろ新しさもあるし,あとはNHKとおさらばするために。



まだ充電中だけど,どんな風に使うんだろう。

あんま慣れていなかったり。

これから固定費増えるなーとへこみつつ,買ってしまった感じでした。