この数年間で意識が変わったと感じること、それは「中国」へのまなざし。

かつては「中国4000年の歴史」という言葉にも特に疑問を抱かなかったが、現時点では無知な日本人の誤解か、中国政府によるプロパガンダにしか思えない。


<中国4000年の歴史は存在しない>

皆さんご存知の通り、「中国」という名称は「中華人民共和国」という国の名前の略称に過ぎない。たかだか60年程度大陸を支配しただけの中国共産党政権が、当該地域に過去興った歴史も「全て自分の歴史」という意味も含めた内容であり、極めて厚顔無恥な意味を有している。


どうして「厚顔無恥」なのかが分からない人に、他国で言い換えることで、理解を促したい。

例えばアメリカ合衆国の略称USAで、「中国4000年の歴史」と同じように言い換えると、「USA大陸で建国240年足らずだけれど、USA文明はコロンブス大陸発見時点から500年ある。また、USA文明は欧州に源流があり、欧州は古代ローマ帝国から2000年、古代ギリシャ文明では4500年の歴史があるので、USA文明も4500年の歴史である」という説明をしているぐらい、「中国4000年の歴史」は欺瞞に満ちた内容なのである。


より中立的な適当な名称としては「シナ」「支那」あたりで良いのではないかと思われる。少なくとも、現在の「中国」を使用することは、共産党政権を指すときと、地域を指すときが混同されるため適当ではない。


<欺瞞に満ちた主張と領土拡大欲>

次に、領土を求めて膨張する中国共産党政権が主張する内容は、一言で言うと「我田引水」そのもの。理屈も何もあったののではない。

清国や過去の王朝が支配した地域は全て自分のもの、という主張であり、真面目にとりあうのも馬鹿馬鹿しいが、今後の方向性を考える前提として、今一度整理しておきたい。


「過去の王朝が支配した地域は、全て支配する権利がある」という主張は、簡単に言うと「昔持っていた土地は、たとえ他人に売却したとしても、今でもオレのもの」という理屈に近い。近代的な法治国家では個人所有の権利が確立しているためこのような主張は成り立ち得ないが、中国は法治国家ないため、このような基本的な権利についても曖昧なのだろうか。


<中国は「近代国家の仮面をかぶった狼」>

次に、一口に「国家」と言っても、近代国家と前近代国家では考え方は全く異なる。現代の世界では、欧米を中心に発展した国民国家の概念が中核となって、国家をあたかも「人」のように擬制することで、「国交=国との交わり」を結び、「約束事=条約」を取り決めて、約束を破ると周りの皆で制裁を加えることで、全体的な秩序を保っているのである。そして「国家」が支配する土地は、条約によって伸びたり縮んだりもするものであり、昔支配していたとしても、現在支配する権利を有するものではない。


一方、前近代的な国家、例えば「江戸幕府」は「徳川家の政府」であり、清国も満州族の王家のための政府なのである。よって条約を結んでも「徳川家」との約束に過ぎないが、効果は国全体に影響するという点で、矛盾点が生じる。それが明治維新にもつながるわけで、多くの前近代的な国家が欧米の強力な近代国家を前にして矛盾を抱えて滅んだ中、明治維新を成し遂げたことは奇跡的と言えるのはこの点でも言えるだろう。


それに前近代国家の地域「支配」という概念も、近代国家のように明確な領地に「国家の主権」がおよぶ概念ではない。無知な中国人および確信犯的な中国政府は、現代社会の感覚で過去4000年の歴史とやらを振りかざして自らの利益拡大を図っているのである。


沖縄が中国の版図だ、という主張も、現代の共産党支配政府と近代以前の国家との混同、近代以前の曖昧な支配=朝貢外交と主権国家の概念の混同等、多くの間違いに基づくものであるが、「銃口から生まれた」共産党政権は自己抑制的な要素は乏しく、その主張を辞めることはない。


中国政府の尖閣諸島や南沙諸島等への対外膨張の動きと、その主張は「無法」のものであり、まさに「力が全て」のルールに近いものである。国連で中国代表が「主権国家としての権利」を主張する様は、あたかも「近代国家という仮面をかぶった狼」のようである。


中国の「前近代性」と現代の視点で過去を断罪する姿勢は、元をたどれば欺瞞に満ちた歴史教育に行き着くのであろう。哀れ中国人は歴史に真実に近づくことも出来ず、他人が結論付けた物語を一生懸命覚えることで、評価される世界に生きている。(突き詰めれば真実の「歴史」は誰にも分からない、という当たり前のことでさえもかの国の人には理解できないであろう)。


<結論>

中国共産党政権の前近代性は、これからも世界の不安定要素をばら撒き続けるであろう。

弱みを見せたらもっと攻めてくる。力が支配する世界だ。残念ながら日本国は今まで以上に、国としての権利を守るためにコストをかける必要が出てくる。弱い国からは企業は流出し、らせん状に落ち目となるのは必至である。そうならないために、皆が費用を負担しないといけないのである。