今回は、ちょっと先の可能性を考えてみる。


その前に、まず、現状の米国の覇権下の世界を概観する。


20世紀から21世紀前半は米国が覇権を確立する過程であった。


21世紀、冷戦終結後の世界において、米国は世界中どの地域にも移動することができる。


いかなる場所でも、米国籍の市民は安全が保障された。仮に、アメリカ人に対し、アメリカ人であるとう理由のみで危害を加える意思を持った国は、米国軍による攻撃対象となり、それは着実に実行される。


そして、同じような権利は、同盟国および米国に反しない人民に適用された。


米国に明確に敵対する国=北朝鮮のような国は、米国に被害を直接的に与えるであろう範囲内において、その行動の自由が阻害される。北朝鮮にとって今の住む世界は、「不自由な」「閉ざされた」世界に感じているであろう。


我々日本人が、空気のように享受している自由、即ち、自由貿易、自由な移動、自由な言論、自由な活動、自由な海外旅行など等…。これは、全て米国覇権が絶対的である世界において実現されていることである。

が、残念ながら、明確にこれを認識し、この事実を受け入れ、現実的な対応として組み込むことは、現状の日本においては一般的ではない。もっとも、認識しようがしまいが、「空気のように」当然に与えられている自由のため、結果は変わりはないが。


ところが、これら自由を享受する大前提である米国の覇権が揺らいだ場合どのようになるのか。

(米国の覇権は21世紀中は終焉しない可能性も十分あると考える。本稿ではあくまでも「終焉するかどうかは別にして、仮に終焉した場合にどうなるか、を記載している)


結論から言うと、米国と対立覇権国との間には、様々な分断が生じ、自由は著しく阻害される。


米ソ冷戦を考えれば簡単である。


例えば、中国が明確に覇権国家としての力をつけた場合、そして米中対立が激化した場合、世界は再び分断の時代になるのである。「あなたはどちらにつくのだ?アメリカか?中国か?」と。


米ソ冷戦の時代、更に遡る第二次世界大戦の時代は、人々に「敵国」への渡航の自由は無く、言論の自由も無く、交流の自由も、交易の自由もない世界。


21世紀の「分断」は、過去の20世紀と全く同じである必要はなく、恐らく通信の自由、情報の自由(言論の自由)、シーレーン(海上輸送の自由)、交易の自由は強く制限される可能性がある。


ちなみに、中国だけが米国への覇権を挑戦するのではない。可能性としては、ブラジル、トルコといった地域大国が国力を背景にした覇権を巡る争いをすることも十分ありえるのである。


さて、人口減少社会をいち早く迎える日本は、いくつかの選択が迫られている。選択しないといけないこと、その一として、日米同盟を続けて、米国覇権が続く方にかけるか、米国以外の覇権国家に鞍替えするか、選択を迫られる。選択しないといけないこと、その二として、民主主義かつ自由貿易国家を維持するか、通信の自由、貿易の自由の一部を放棄するかを選択しないといけない。通信の自由の放棄とは、既に中国で実施されている反政府的な情報に対する強力な規制を想定する。また貿易の自由の放棄とは、地球が覇権国家間で分断されるため、貿易についても一方の陣営に偏らせる必要が生じてくることを指す。


地理的には、中国と日本はあまりに近いため、中国の覇権下に入ることは、直接的な支配を受ける可能性が高いため、人種的にも歴史的にも遠い米国の覇権下に留まることが懸命であると思われるが、中国が圧倒的な力を有した場合、その圧力にどこまで耐え切れるか。果たして、そこまでの国内の政治的合意が形成できるのか。現状の政治家を見ているとはなはだ心もとない。