約一年間このテーマについて書くことを休んでいました。
理由はありません、何となくです。

その前に少し余談
コブラのブログ記事を一周読み終わり、二巡目の途中ですが、何となく書きたくなったので、書いてみます。
ちなみにコブラの記事は PFC-J Official のサイトの物を全部読みましたが、それ以外に二つのサイトがあるので、二周目はそこのサイトのものを優先的に全部読んでいます。
NOGI さんが設立したサイトと、ジールさんが設立したサイトです。
PFC-J Official には無かったインタヴュー記事が掲載されていたりするので、別記事で報告しますね。
各サイト毎にそこにしかない記事が掲載されています。

前回は

 

 


なんて記事を書いていました。
自分自身すっかり忘れておりますwww

確認のために読み直していたら、なんとリブログされている方もいたりします。
こんな程度の内容でも興味をもっておられる方がいるんだと思い、続けるかと思った次第です。


超越の体験は瞑想をしなくてもできると思います。
一番わかりやすい例としては相対的な意識状態の遷移の瞬間に体験すると思います。

相対的な意識状態とは、目覚めの意識、眠りの意識、夢の意識の事です。
目覚めている状態から眠りの状態へ切り替わる時に、機械類では計測できないほどの短い時間超越意識を体験すると言われています。

例えて言うと一回瞬きする時間を一週間という時間に置き換えてみます。
一週間は7日です。
一日は24時間です。
24 x 7 = 168
一週間は168時間です。

一回瞬きする時間を168時間だと仮定します。
その時間単位で超越できる時間は1秒くらいでしょう。

あくまでも例えですよ、実際にそれくらいの時間かどうかは分かりません。
それくらい短い時間だと言うことです。

実際超越瞑想を続け、超越することに慣れたら、超越できる時間がどんどん長くなります。

マハリシはこのように例えていました。
「生地を染める場合、最初は薄く染まります。
染まった生地を乾かすとさらに色は薄くなります。
それを何度も何度も繰り返すことにより、希望の色が定着します。
このように何度も何度も超越することにより、常に超越状態になります。」

この事を先人たちは熏習(くんじゅう)と表現しました。

Wikipedia より引用
熏習(くんじゅう、梵: vāsanā、abhyāsa、bhāvanā、 वासना)とは、身口に現れる善悪の行法もしくは意に現れる善悪の思想が、起こるに随ってその気分を真如あるいは阿頼耶識に留めること。俗にいう「移り香」、香りが衣に染み付いて残存するようなことを言う[1]。

薫習が身口意に現れたのを「現行法」(げんぎょうほう)といい、真如あるいは阿頼耶識に気分が留まったものを「種子(しゅうじ)」あるいは「習気」(じっけ)という。このように現行法が真如あるいは阿頼耶識にその種子もしくは習気を留める作用を薫習という[要出典]。


完全に定着する以前に突発的にはっきりとわかる超越状態を体験することがあります。
これを一瞥(いちべつ)の体験、至高体験と表現したりします。

このテーマの一番最初の記事である動画を紹介しました。
その中で体験者(アリ・モリズミ氏)はこのように表現していました。

「平凡な一日、車に乗っている間に突然ものすごい高揚感を感じた。
時間軸もよくわかんなくなった。
短かったはず。
一分とか、一分も無かったかもしれない。
それくらい短い時間だったかも知れないが、ドンと上に上がった感覚があった。
その状態が終わった後も高揚感はしばらく残った。」
動画の冒頭3分程でこの事が語られています。
動画時間は30分程ですが、興味がある方は最後までご視聴どうぞ。

 

 


このような体験を何度も何度も繰り返し、やがて
「このように何度も何度も超越することにより、常に超越状態になります。」
このような状態になります。

具体的に言うと目覚めの意識と超越意識が同時に存在するようになります。
マハリシはかつて「目覚めと超越をとてつもない早い時間で切り替えている」
と表現していたと記憶しています。

例えて言うと蛍光灯は日本では50Hzまたは60Hzで点灯と消灯を繰り返しています。
1秒間に50回、または60回点灯と消灯を繰り返している。
実際には点灯ではなく、点滅というのが事実ですが、人間の目ではそれくらい早い時間に点灯と消滅を繰り返されると点灯していると認識されます。
実際に目覚めと超越を1秒間に何千回か何万回か何億回かわかりませんが、それくらいの時間単位で切り替えているのでしょう。

その状態が24時間365日何があっても継続できる状態の事を「宇宙意識」と表現しています。

24時間365日なので、食事をしていても、音楽を聞いていても、あくびをしていても、眠っていても、夢を見ていても、常に超越状態にあります。
その状態では自分がいつ眠りに入ったかわかります。
目覚めの意識と、眠りの意識では神経系統の状態が切り替わります。
超越状態が常にあるので、自分がいつ眠りに入ったのかわかります。
意識の切り替わりはデジタルです。
スイッチの入り切りと同じです。
0か1のどちらかしかありません。


なので、意識がだんだん遠のき、いつの間にか眠ったという感じではなく、ある瞬間眠ったという神経系統の状態の変化がわかる様になります。
常に超越状態にあるので、その瞬間がわかります。
眠りから夢に切り替わるときも同じ様にわかります。
明晰夢はそのような状態に体験します。
自分は今夢を見ているという事がはっきりわかります。

以前同じ瞑想をしている友人から「眠っている時に退屈しないの?何時間も眠っているよね?」
と質問されたことがあります。

最もな疑問だと思います。
それでは退屈とはどういう状態でしょうか?
退屈とは心が満たされておらず、より楽しい物、より楽しい事を求めている状態だと思います。

それは心の自然な本質です。
より美味しいもの、より笑えるもの、より楽しめる音楽。
強制されてそう求めるのではなく、誰に教えられるでもなく、自然に備わっている物です。

超越瞑想はその心の自然な本質を利用します。
超越するということは動画で説明しているように、「絶頂、頂点、てっぺん」の状態です。
それが24時間365日継続した宇宙意識の状態では、常に超越を体験しています。

超越状態ではアリ・モリズミ氏の話からわかるように、絶頂、最高の高揚感を感じます。
つまり、心が完全に満たされている状態です。
超越の状態では他に何もなくても心が完全に満たされています。
これを「自己充足」と表現しています。

自己充足の状態では退屈を感じません。
例え何時間経過しようと退屈しません。
自分が存在しているだけで全て満たされているのですから、退屈しようが無いのです。

これは自分の中にストレスが無い時に感じることができます。
五感で体験できる相対界は自分の心の鏡です。
自分の心が外側に投影されます。
自分の中にストレスがないので、見るもの聞くものすべてストレスが無い状態に受け取ります。
つまり、自分を含め全てが満たされ、全てが喜びにあふれている世界です。

それが超越であり、超越を基礎にした宇宙意識の状態です。
それが本来ある人間の状態だと思います。
真人間だと思います。

今日はここまでにします。

 

rony michaudによるPixabayからの画像