10/1に、ある資格試験を受けてきた。持っていれば一応その分野の知識を持っていると現職では認められるもので、微妙な部分もあるがそれなりによい点はとれたと思う。

 

ここ最近、私の資格試験の勉強方法は固定されてきている。参考書をまずは一回、文章に線を引きながら読み、二回目以降は色を替えたペンで書かれている事の要約を余白に書き込みながら、通読。これを時間のある限り繰り返す。

同時に過去問を手に入れられるだけ手に入れ、それを何度も繰り返す。

要はインプットとアウトプットをひたすら繰り返すという力技だ。

 

このやり方は、確か山口真由という人の「東大生が教える7回読み勉強法」みたいな名前の本からヒントを得た物だ。この山口さん、東大法学部→財務省→弁護士事務所を渡り歩いてきているらしいのだが、どうも「『勉強ができる私』というイメージを崩したくない!」という思考で、しかもそれを平気で本にしちゃう人である。生憎僕は受験や勉強がそんな上手くいったタイプではないのであまり趣味は合わないだろうが、それでもこの勉強法は納得の行く物があった。

 

また、これとは逆の勉強法についての本を書かれたのは代ゼミの英語講師、富田一彦先生だろう。確か試験勉強がこの後の人生を豊かにする事を啓蒙した本だったはずだ。富田先生自身には、暗記に頼らず、論理に忠実な解法を提唱する授業や参考書に、お世話になった人も多いのではないだろうか。

かくいう私もその一人で、学生時代・浪人時代は先生の授業の前列に陣取り、理解に努めようと頑張っていたものである。もし、浪人生の自分が上記の7回読みの本を読んだところで、まねをするどころか鼻で笑って馬鹿にしていただろう。勉強とは論理的な理解があってはじめて意味をなす。力技の暗記では答えは覚えられても、その後何の役に立たないではないか、と。

 

しかし30歳近くになった今、私の性格も変わった。

世の中論理的だ理解だというよりも、ひたすら反復して身体に叩き込んだ方が身になる事もある事を知ったし、暗記する事で、その知識をスピーディーに取り出す事ができる事も学んだ。考えたり論理的であることを最重要視していた頃の私では考えられない事である。

 

勿論、そういった思考を捨てたつもりは無い。

要は、試験の場合だったら「合格する」という目的に最も近づく方法を選択する術を身につけた。そして、誰かがやっているから、という信者的な考えから特定の勉強法を選択するのではなく、さまざまなやり方や方法を咀嚼し、自分なりの手順を持つ事ができるようになったという事である。

 

できるようになった、とは随分年寄り臭い事を書いているが、気づけば年齢ももうすぐ30になろうとする頃で、今年の新入社員とは7歳も年の差があるのもまた事実だ。ただの勉強法の話に終始するつもりだったが、ふと同様に、実は当時とは結構認識が変わったんじゃないかと思える事が多々ある事に気がついた。よし、しばらくの間は少し自分の今昔の比較について、筆を取ってみる事にしようじゃないか。