今回は 悪い子さん にリクエストいただいた短編、女処刑人の二人組のお話です。
拘置所内のことなど、理解が及ばず内容に至らない点も多いかと思いますが、そこは大目にお願いします。
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『愚かな死神』
相方の他に誰もいない廊下を進むと、パンプスのこつり、こつりという音がやけに高く響く。
何度も耳にしてきた、死の音だ。
「リー、いつも堅すぎー」
隣を同じように、だが、楽し気とさえ思えるリズムを付けて歩いているのは相方のフールだ。
私たちの名は仕事上のペンネーム。私は死神を意味する「リーパー」、「フール」は愚か者。
何も考えず、何の感慨もなく、淡々と仕事をこなす私たちは重宝される。人が嫌がる仕事を進んで行うのだから当たり前とも言える。
だが、同時に畏れも抱かれていることを私たちは知っている。フールはむしろそれが愉しいようだが。
やがて、一つの独房へと辿り着く。他の受刑者は外へ出ているから、今はその中で座っているこの男と私たちしかここにはいない。
この男は全て諦めたとでも言いたいのか、服装は自由のはずなのに囚人服を身に着け、憐憫を誘うかのように挙動が不審だ。
「490番。死刑執行命令が出た。教誨師の元へ行こう」
男はとても小柄で、私たち――平均より長身――より頭一つ以上低い背丈だ。その身をさらに縮こめてぶるぶると震える男は、ぎょろぎょろとした目で私たちを見ては逸らすを繰り返している。
怯えている。死の匂いに。私たちに纏わりついて離れない、死をものともしない空気に。
「リー、遅ーい。見てないで早く連れてこーよ」
フールが「ふふふ」とわくわくしているような笑みを零す。彼女はいつもこうだ。死刑執行命令書が届くと、五日以内で構わないのにすぐさま実行に移そうとする。待ち望んでいたように。
彼女に初めて会った時から、彼女は複雑に歪んでいた。
「わかっている。立て」
そう言って独房の錠を外すと、男はがくがくと震えて言うことを聴かない足を無理矢理動かして何とか立ち上がった。
「……喋んないね、こいつ。嫌だ、死にたくない、怖い、助けて、父さん母さん、神様! とか」
「自分の犯した罪の重さを受け入れているのだろう」
「……ふーん……」
フールが490番の背丈に合わせて屈み、彼と目を合わせた。
「きったない目。ほんとにわかってんのぉ?」
「フール、もう口を開くな。お前はいつも余計なことを言う」
「リーパーはいつも冷めすぎだよ」
私はこれ以上話しても不毛なだけだと考え、男に出てくるよう促す。
この男は計画殺人で捕まった、哀れな異物だ。
――愚かな死神――
私たちは二人で一人として、陰でそう呼ばれている。誰も名指しで私たちのことなど言わない。それは、本当なら自分たちにも回ってくるはずだった仕事を私たちがたった二人で肩代わりしていることへの罪悪感と、それを進んで行う者を忌まわしく思う気持ちと、恐怖。
誰もなぜ私たちがこの仕事を率先して行うのか、訊こうともしない。
「遺書を書きますか? 宗教教誨はどうしますか?」
教誨室へ行くと、何人もの教誨師が並んで座っていた。一人が座るように誘導し、急に増えた人数に間誤付いておどおどとしている男を宥めるような丁寧な口調で尋ねた。
「……遺書……もう……」
男はぼそぼそと言葉を紡ぐ。教誨師はそれを根気強く拾っていく。だが、男は結局はっきりとしたことは何も言わなかった。身寄りもない、天涯孤独の人間であるから遺産相続もさして問題にはならないだろう。教誨師は男の稚拙な説明に頷いてやることに徹した。
こういう奴は何人も見て来た。人の命を奪って、奪われることは拒む。その意思自体は否定しない。批判されたくはないが、批判をする。そんな人間は掃いて捨てるほどいるのだから。
私がこの職場に来たのは、もう何年も前だ。その前は他の拘置所で事務担当をしていた。
だが、私は見てみたかった。
この世から決して無くならない「理不尽」を、その身を以て贖う「異物」を。
私自身も、その「理不尽」を身を以て知る「異物」なのだから。
私が刑務官を目指したのは母の死が理由だった。母は常に父を憎んでいた。殺してやりたい、そう口に出してしまうほどに。
だが、母は結局、父を消すために私と彼女自身が父のいない世界へ行くことを選んだ。
まだ小学生だった私は、母のその行動に「違和感」としか言いようのない、得体のしれない感情を覚えた。
「死」とは自我の消滅。世界は「己」と「他」でできている。どちらか一方が完全に欠けることは自分が存在する限り「ありえない」。
「他」の中から気にくわない「異物」を取り除き、「己」を満たす。
その「理不尽」を人は気付かないままに、護身具として振るう。
母はその「理不尽」を「己」に向けて振り下ろした。私という「他」をも巻き添えとして。
そうして私は母にとっての「異物」と化したまま生き残った。
拘置所で過ごしながら、私は「異物」の正体を見極めようとした。世の中のために働いたことで罪を償い、構成していく「異物」たち。彼らは「己」がどこかの「己」にとっては永遠に「異物」であることを知っているだろうか? 赦されても、彼らには「前科」という「異物」の称号が永遠に課されるのだ。
そして、私も母を一人で消えさせた「前科」を持つ「異物」なのだ。
事務をしながらでも、所内の噂はすぐに耳に入ってきた。新しく配属されてきた年下の女子刑務官の話も。
それはフールだった。
彼女は「歪」だった。「己」にも、「他」にも生じる歪みそのもの。私の世界に亀裂を入れる者だった。
ものの善悪がわからない。だから、きっちり自分で線を引く。悪いものがいる。だからそこに線を引く。
判断するのが警察や弁護士や裁判なら、彼女は悪が詰め込まれた拘置所で、善として生きる。
彼女は「他」に「己」を無理矢理ねじ込ませ、歪みを広げていった。悪い子ではない。だが、善い子でもない。いや、善い子なのだ。あれが「善い子」でなければ、他にどんな「善い子」が存在するのか?
人にそう思わせるような人間だった。
「人間失格」の主人公、葉蔵が「神様みたいないい子」だったように。
教誨師とのやり取りが終わると、別れの間へ行くこととなる。ここで最後の祈りを上げるのだ。
幹部の人間や立会い検事、検察事務官、教誨師らが見守る中、男は祭壇に向かって座るが、その様子はあまりにも小さく、視線を痛がっているように肩を竦めてぶつぶつと祈りの言葉を細く震える声で奏上した。
「……祈って、死んで、地獄に行くとか。何のために祈ってんの?」
「……地獄に行かないためだろう」
「そう? 見て。あいつの周り、どす黒いじゃん。黒って、仏教では地獄の色なんだよ。六道の三悪趣をそれぞれ示す赤・青・黄。全部混ぜた地獄色」
男の纏う黒い、言うなればオーラを示してフールが得意顔をする。
彼女は天国や地獄、悟り、六道、神などというものを信じてはいないだろう。だが、彼女にとってそれらが貴重な線引き道具であることに間違いはない。
誰かが作った線引き道具を喜び勇んで彼女は拾ってゆくのだ。
中央に掲げられた白い阿弥陀如来の仏画。美しい花で彩られたその穏やかな面差しは、ここで祈りをささげる人間を何度も死へと誘ってきた。
「さあ、好きなだけここに供えられているものを食べて良い」
私は男の傍へと寄り、祭壇の供え物に手を向けた。
「最後なんだから。たんとお食べ!」
フールが近付いて来るなり天使のようなふわりとした笑みを浮かべて言う。それは逆効果であることを彼女は全く理解していない。その言葉は「善」であるから。
男は案の定、何も口にしなかった。フールの言葉がなくとも、この状況で「では、いただきます」などと言える人間の方が少ないだろう。
私は、そんな「異物」に出会ってみたいと常に思っているのかもしれないが。
「もう何か言いたいことはありませんか?」
所長が嫌そうな素振りを押し隠し、まじめな顔で尋ねる。他の拘置所の所長はもっと親身になって死刑囚と言葉を交わすのかもしれないが、ここの所長は彼らと一切関わりを持ちたくないらしい。そんな人間がトップだから、愚かな死神などという影の存在が生まれるのだ。
男が所長の問いに首を振る。
この部屋を出れば処刑場だ。
男もそれをわかっているのか、とうとう膝が砕け、がたがたと小刻みとは言えない程に激しく震えだした。こうなった場合、大抵は自分で立つことすらできない。私は仕方なく男を横抱きに抱え上げた。
身長差もあるが、体格的にも男は殺人犯だと思えないくらい小さかった。
「……大丈夫だ」
なんと惨めな姿だろうか。
人はなぜ生まれてくるのか、そう悩む者がいる。
人はなぜ生きるのか。なぜ死ぬのか。
「生」を全うする。この言葉の裏には「死」が眠っている。
彼はどんな「生」を全うしたのか。それは、この死を以て表される。
人はいつでも「今」しかない。過去の「今」を思い、未来の「今」をより美しくするために「今」を使う。
この男はこの「今」を迎えるためにその「生」を過ごしてきたのだろうか?
この男は「異物」として排除されるために生まれてきたのだろうか?
「……すぐに……」
昔聞いた母の声が、処刑場を前にするといつも思い出される。
――すぐに、終わらせるからね――
すぐに何を終わらせるのだろうか。「己」の「生」。私の「生」。自分の「罪」。私たちが存在していた「他」。
「死」とは一体、どこに存在しているのだろう?
男の瞳は潤んでこそいたが、決して雫を溢しはしなかった。その瞳はフールが言ったほど汚くは見えないような気がした。
「己」を憐れむ心無くしてこの世界には生きられないのだから。
「……ん……」
男が腕の中で呻き、何かを伝えようとした。私はその時、初めて男が二つに折っただけの遺書をしわくちゃにして隠すように手の中に握り込んでいたことを知った。
「これを受け取ればいいのか?」
「……んん」
証拠品もないのに恩赦請求をしようとして相手にもされなかった男は、身寄りもないのに誰に向けてどんな言葉を書いたのだろうか。
「……宛名がないな。誰に渡せばいいんだ?」
「……ん」
「呻いてるだけじゃ、わからない」
私は口の中で出そうになる溜息を噛み殺す。
「……折って……空に……」
「折って? ……紙飛行機か?」
「……ねが……い……す」
男はそれきり黙ってしまった。なぜ空に飛ばしたいのだろうか。
彼は計画的に自分の妻を殺した。その動機についてはたくさんの憶測が飛び交い、どれが本当かを結局私は見つけることができなかった。
だが、この紙の中には「死」よりももっと天に近い言葉が綴られているのかもしれない。
処刑場に着くと、私は男の首に縄を掛け、フールは暴れないようにと足を縛った。
「準備完了です」
フールはいつも、この時ばかりは珍しくもまじめな口調で告げる。所長がそれに頷いた。
「君の立派な態度、非常に感動しました。きっと君は大往生できます。御仏のお迎えが参りました」
所長がゆっくりと男に最後の言葉を送った。
三つのボタンが同時に押される。
目の前で世界を閉じる「異物」から、私はまた何も得られなかった。
合掌をしながらも、私はそれだけを考えていた。
「終わった」
「質屋に売り行かなきゃね!」
遺体の回収も済み、今回の処刑もあっさりと終わりを告げた。フールは「今週末に彼と水族館行くのー! 私、小学校の遠足以来だよ! そのためにもお金作んなきゃいけなかったし、特別報酬入って良かったー」と一人で表情をころころと変えながら捲し立てている。
「ねえねえ、今日の帰り質屋寄ってこ! 引き取り手のない遺品なんて、何年か保管しといてもしょうがないもんね」
フールが「行こ行こ!」とはしゃぎ出した。
「……それが、今回は引き取り手のある遺品を回収してしまったんだ。質屋はまた今度にしてくれ。あと、少しは節度を持て」
「えー、何それー。私は節度を充分守ってるよ。……そんな遺品あったんだ」
フールのいつも笑っている目がすっと鋭くなった。
「遺品ってのは遺すためにあるんだよ。線を跨ぐ道具にはならない」
彼女は私が遺書を受け取ったところを見ていたのだろうか。
何をしたところで、彼が「悪」であった事実は消えない。「死を以て償われた」という肩書が「悪」の上に付くだけだ。
「そうだろうな。だが、考えたんだろうよ、色々」
彼は筆を手にたくさんの想いを抱え込んで、たくさん悩んだのだろう。
そして、空にこの思いを託したのだろう。
私は一人で所の屋上に行き、何年も折ろうと考えたことすらなかった紙飛行機を二つ折りのまま折った。
それを、茜色の空に向けて力いっぱい放つ。
ゆるい弧を描きながら、紙飛行機はすぐに緩やかな落下を始め、黒々とした遠い木々なのか建物なのか、それとも全然違う何かなのかもよくわからない場所へと見えなくなっていった。
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ここまで読んでくださってありがとうございました!
悪い子さんへ
リクエストしていただいた短編です。だいぶ遅くなってしまい、すみませんm(_ _)m
主題が奔走してしまった感があってほんとに申し訳ないです。
こんなものでも大丈夫だったでしょうか?
リクエスト、本当にありがとうございました!