一昨日、文化祭で見た銀河鉄道の劇がなんというか…


いえ、劇は素晴らしかったのです!


が、


ジョバンニ…最後…何が、「僕は、カンパネルラが、好きだ…」だっ!

しかも…ポスターもろに女の子と男の子の絵だし…


そもそも内容がオリジナルだし…


劇としてはクオリティ高くて感動だったのに…


何故ジョバンニとカンパネルラにしたんですか・・・

演劇部に問いたい…

ものすごく問いたい…


でも、ほんとに内容設定は良くて、さすが演劇部って感じでした!



という話はさて置き…


今日はまぁまぁ暇なので銀河鉄道の夜…というか賢治さんの思う善行について語ります(笑)


銀河鉄道の夜といえば童話で、絵本になってて、子供向けとも思われがちですが、大人になってから読み返すと影の部分の理解が深まるという方も多いようです。

そして、最後の解釈…

まず、サウザンクロスを過ぎ、石炭袋(ブラックホール的な何か)に差し掛かったとき、カンパネルラのお母さんがそこに立っている。

つまり、お母さんの深い悲しみは先立ったことを良しとできなかった。

そこまでは普通にわかるのですが、その後、地獄に落ちて終わるのか…。

友人との見解はNOでした。

おそらく母親がなくなってから迎えに来るのでは…

会えればお母さんは悲しみから救われるのだからそうなるのではないかと思います。


そして、よく、「賢治は自殺が一番の善行だと言っている」という人がいますが、それは違うと思います。

賢治は死ぬかもしれないけど突っ込めるか…と言っているのだと私は思います。


銀河鉄道の夜の蠍の火で、蠍はイタチに追われて井戸に落ち、死にそうになると自分の行いを振り返り始めます。

多くのものを捕食してきた。だから自分は精一杯生きていなくてはいけなかった。けれど、イタチに追われた。だから逃げた。

つまり、蠍は自分のためにも捕食したもののためにも生きていたかった。

でも、井戸に落ちてしまった。

こんなことになるなら、イタチにくれてしまえばよかった。

蠍はそう思います。

そして、今度こそ誰かの役に立ちたいと思う。

死んでしまうことを受け止めた上で当たり前のように他人のことを考えられる。

蠍にとっては多くの命に生かされていることを承知しているから当たり前のことなのかな…。


蠍尊敬。

人のために何かをした結果で死んでしまう。それは結局結果であって、カンパネルラは後々、母を思って悩み、「石炭袋」に落ちてしまう。

でも、それをちゃんと受け入れている。

賢治さんの、というより、私の思う一番の善行とは人のために無謀をできる勇気と、その責任をとり、結果を受け止めることだと思います。

この全てができる人こそ「雨ニモマケズ」のような人だと思います。

…って…

…私は何を偉そうに言っているんだ(笑)


※あくまで個人の感想、解釈です。


はい、まだまだ続きます。


第三次項のブルカニロさんですが…

かっこいいです…

けっこうすきなきゃらです(*´∀`*)


「ああ、どうしてなんですか。ぼくはカムパネルラといっしょにまっすぐに行こうと云ったんです。」


「ああ、そうだ。みんなそう考える。けれどもいっしょに行けない。

そしてみんながカムパネルラだ。

おまえがあうどんなひとでもみんな何べんもおまえといっしょに苹果をたべたり汽車に乗ったりしたのだ。

だからやっぱりおまえはさっき考えたようにあらゆるひとのいちばんの幸運をさがし、みんなと一しょに早くそこに行くがいい、

そこでばかりおまえはほんとうにカムパネルラといつまでもいっしょにいけるのだ。」

人の行く道はそれぞれ。どんな行いをするかはそれぞれ考えなければ。

そう思いました、博士。


これまた尊敬。


最初は敵なんだか味方なんだかわかんなかったけど、一人になってしまったジョバンニを支えてくれるいい人だったんですねぇ、博士。


「(中略)お前は夢の中で決心したとおりまっすぐ進んで行くがいい。

そしてこれから何でもいつでも私のとこへ相談においでなさい。」


いいひとだぁ。やっぱり、まさしく。


銀河鉄道の夜、やっぱり大好きです(*´∀`*)!