新生児のときの娘の手。
そのときは「痩せてる」とか「宇宙人みたい」なんて感想ちっとも浮かばなかったけど
(ただひたすら小さい!可愛い!と思ってた)
生後4か月も近くなった娘と当時の写真を見比べると、
新生児って肉がなくてガリガリだったんだな〜思うし、人間というよりはお猿さんや宇宙人ぽかったんだな〜と気付きますww
さて、本題。
なぜ子どもを育ててると、
自分の人生が停滞してるって感じるのでしょうね?
家事育児+αで何かしなきゃ
=お金を稼ぐか、それに通ずる勉強しなきゃ
みたいな焦りが生まれる人って少なくない気がします
LDRで胎盤を出され会陰を縫われて、
娘も必要な処置を受けて、それから改めて私の元に運ばれてきて。
生まれたてほやほやの娘を見たら
「私はこの子に会うために生まれてきたんだ」と思いました
なぜかそうだと確信できるような充実感。
入院中も、こんな尊い体験ができて
私自身、生まれてきて本当によかったと思って泣きました
※感情の波がやばい時期w
生後2か月くらいまでは、娘の顔を見て肌に触れて、ともに時間を過ごすことが幸せすぎて
「毎日こんなに幸せで大丈夫」とか興奮気味に思ってた
にも関わらずです。
なぜそれで満足できなくなるのでしょうか?
もちろん娘の可愛さは変わらないし、
一緒にいるのに写真を見たり、隣で寝息を聴いては
改めて「ここに居るのは奇跡だな」「有難いな」
と感慨深く、愛おしさを再確認しています。
でも同時に、外で仕事をすることのよい面ばかりがやたら思い浮かんだのも事実
今週はようやく落ち着き始めたので書きますが、
ここ1か月はずっと、自分でお金を稼ぐことに憧れていました
もう少しで退職して1年。
辞めるまでの1年半は忙しすぎて、いつも逃げたかったのに…無いものねだりかな
あの働き方にはもう戻りたくないから、次仕事をする時は職業そのままでやり方を変えるつもり
つまり私は、働くこと自体は嫌いじゃなくて、自分にとってちょうどいい塩梅で仕事したいんだと気付けたので、それはよかった
仕事辞めてなかったら、働き方を変えるのもビビって先延ばしにして、不可能だったと思うし。
生後1か月くらいまでは、身体も回復していないのに睡眠不足で、次々に降りかかる新たな試練。
「働く」なんて1ミリも考えようがなかった。
けどそのうち、赤ちゃんは赤ちゃんなりに強くなってくるし、自分も産褥期が明ける。
お世話にも慣れて、日々疲れはするけど、余計なことを考える余裕が出てくる。
赤ちゃんが何事もなく成長発達して
自分も出産のダメージから回復して
母としての能力をどんどん上げている
その証拠と考えれば、起きているのはよいことだらけ
休みなく日々頑張ってるのに、「停滞」なんて自分に失礼すぎやしないか?
「今」起きてること、やってることを最大限楽しむってことが、これまでの人生を振り返ると私は結構苦手な気がしています
手に職があるのに「私の技術が本当に通用するの?」とか「ブランクが…」「働き口なかったらどうしよう」とか
起きてもないこと心配するのは無駄中の無駄ですよね〜
心配事の9割は起こらないって言うじゃない。
起きたらその時考えればいいし、そうするしかないのに…
いずれ働くなら、今は家が仕事場なのを楽しもうよ
どうせワーママになったらなったで、「専業主婦の時はよかった」って今を思い出すんだよw
ないものよりあるものに目を向けよ
と自分に言い聞かせるのでした〜