何か、このブログにアクセスして下さる方々の中に、レオノール王女
について検索しながらひっかかて、来て下さる方が多いようなので、今回は、
王女の父君であるフェリペ皇太子世代を飛ばして、レオノール王女に
ついて書いてみようと思います。 ただ、正直言って、王女及び妹君の
ソフィア王女については、週刊誌ネタ程度の知識しかない私ですので、
あまり詳しいことは書けませんので、あしからず。
レオノール・デ・トドス・ロス・サントス・デ・ボルボン・イ・オルティス
Infanta Leonor de Todos los Santos de Borbón y Ortiz
これが王女のフルネームです。 今まで紹介してきたスペイン王室の方々と
比べて、驚くほど短い名前です。結婚の遅かった皇太子の待ち望まれた
第一子であるにもかかわらずです。従兄弟であるエレナ王女やクリスティーナ
王女のお子様と比べても、短い名前なので本当に驚きです。通常ですと、
名前の中に、祖父母である国王ご夫妻や代理父母(王女の場合、こちらも
国王ご夫妻)の名前を入れたりするものですが、それが全くありません。
レオノールと言う名前も、一体どこから持ってきたの???と聞きたくなる
くらいスペイン王室では珍しい名前です。一応、過去に3人ほどレオノール
と言う名前の王女や王妃がいたそうですが、それは、中世の話。近世には
お一人もいらっしゃいませんでした。
↑ 生後一週間のレオノール王女
レティシア皇太子妃が明かされた話によると、王女のご誕生まで、皇太子
ご夫妻は、赤子の性別をご存知ではなかったそうです。それで、フェリペ
皇太子が前もって、女の子の名前を幾つか選んでリストを作られていた
そうですが、レティシア妃がその中でも、“レオノール”と言う名前を一番
気に入られ、皇太子も、昔から好きな名前だったそうなので、それではと、
“レオノール”と言う名前をお付けになられたようです。
もしかしたら、これは、初めて民間から王室に入られたレティシア妃への
皇太子の心遣いだったのかもしれませんね。初めての子供の名前付け
から、“王室の伝統では~”と繰り出されたら、皇太子妃の気が滅入って
しまうと思われたのかもしれません。なぜなら第二王女には、ちゃんと
”伝統に従って”祖母であるソフィア王妃の名前をお付けになって
いらっしゃるのですから。
さて、このレオノール王女ですが、2005年10月31日1時46分にマドリード
にあるクリニカ・ルベル・インテルナシオナル(Clínica Ruber Internacional)
と言う病院で、お生まれになりました。帝王切開でしたが、その際、父君
であるフェリペ皇太子はお産に立ち会われたようで、母君であるレティシア
妃は、生まれてきた赤ん坊を見て、感動のあまりに涙したと言います。
お生まれになったのが深夜であったにもかかわらず、皇太子はすぐに、
ご両親である国王ご夫妻に初の内孫誕生のご報告を電話でなさったそう。
そして、翌朝6時には、一晩中病院の外で待ち構えていた記者団に対し、
王女誕生の発表をされました。
帝王切開だったため、皇太子妃は1月7日まで一週間病院にご入院。
その間、王妃をはじめ、エレナ王女及びクリスティーナ王女のご家族、
レティシア妃のご家族、そして当時首相だったサパテーロ氏ご夫妻
などのお見舞いをお受けになられました。11月2日は、ソフィア王妃の
お誕生日だったため、王妃は病院で皇太子ご夫妻と生まれたばかりの
レオノール王女、そしてエレナ王女、クリスティーナ王女ご夫妻と昼食を
共にされ、その日をお祝いしたそうです。
その時の王妃のコメントが、
”孫(の誕生)が一番の誕生プレゼントだったわ”
本当に嬉しそうな顔でおっしゃっていました。(↓これが帰り際
の王妃のお顔です。本当に嬉しそう!!!)
1月7日の退院の際には、連日寒い中、病院の外に詰めっぱなしだった
記者団へのサービスとして、皇太子ご夫妻は、カメラマンがレオノール
王女の顔を撮りやすいように抱いたり、王女が眠っていて表情がよく
見えないので、記者団に対し、
”目の色は青だけれど、この先色が変わるかもしれないからね。”とか、
”誰に似ているかって?どっち似だと思う?”
などと、声をおかけになったりされました。
生まれた時こそ、よく泣いてはいたけれど、それ以降は、よく飲んで
よく眠る育てやすい赤子だったようです。
↑レオノール王女を抱いて病院をあとにされる皇太子ご夫妻。