バガヴァッド・ギーターでは、完全なる全体は、(1)至高の支配者(イ-シュワラ)、(2)支配される生命体(ジ-ヴァ)、(3)物質宇宙の顕現(プラクリティ) 、(4)永遠の宇宙時間(カ-ラ)、(5)活動(カルマ)の5つの主題で構成されると説かれています。

 

この完全なる全体を至高絶対真理と呼びます。

 

この完全なる全体であり至高絶対真理が、完全なる至高創造人格主神シュリー・クリシュナなのです。

 

人格神であるということは、至高の存在が人の姿を持った神であるというのが大切なことです。

 

至高創造主神クリシュナを知るには三つの段階があります。

 

まず非人格ブラフマンの段階ですが、ブラフマンは人としての姿を持たない至高神が放つ輝く光のことで、献身者ではないヴェーダの思索家などが導かれる神を完全には理解していない状態です。ブラフマンの様相を悟ることは、永遠の実在・サットを知ることです。

 

そして、次のパラマートマーの段階ですが、生命体は至高の魂の分霊である(ママイヴァーンシャハ)ことを悟るヨーギーの段階ですが、これは永遠の実在・サット、完全なる知識・チッドを知ることになります。

 

あるがままの詩7章4節にあるように、物質界において神秘とされるブラフマジョティ(ブラフマン)の光も、精神界のヴァイクンタ・ローカにあるような精神的な多様性はありません。

 

またパラマートマーの現れについてもクシーローダ・カシャーイー・ヴィシュヌという全てのものの原子の中に実在する超意識は物質世界での一時的な様相であり、精神界では永遠ではありません。

 

ですからどちらも最高の悟りではないということです。

 

しかし、究極的に、人間の姿をした(シャーマスンドラ)至高創造人格主神クリシュナを知ることは、サット(永遠の実在)、チッド(完全な知識)、アーナンダ(絶対なる至福)の完全なる相・姿(ヴィグラハ)を知ることになるのです。

 

私たちがそれぞれ個性ある姿形をしているように、至高絶対真理もまた一人の人物なのです。

 

ですから、至高絶対真理であるバガヴァーンを本当に知るということは、彼の超越的な容姿、能力等の全てを知るということなのです。

 

もし至高の神が人の姿をしていなかったり、無形であったりしたら、それは私たちに劣ることになってしまい、完全なる全体とは言えません。

 

そうではなく、至高創造人格主神クリシュナは究極的にサット・チッド・アーナンダ・ヴィグラハ(永遠の実在、完全なる知識、絶対なる至福の姿)でおられます。

 

そしてクリシュナは人智の及ばぬ超越者であり、物質自然の三様式に支配されず、時間と空間の影響を受けずに、私たちの経験することや経験を超えること全てを包括しているということなのです。

 

物質世界において、この物質宇宙の24元素の一時的な現れは、この宇宙の維持と存続に必要な資源が余分なものも足りないものも何一つなく完璧に作り出されるように調整されています。

 

そのように宇宙が完璧に運行されているように、一つの生命体という小さな個体にも、完全なる至高創造人格神クリシュナをいつか必ず知ることになり、そして理解するという完璧な配慮がなされています。

 

そしてそのような無限の力が働いているのです。

 

私たちがありとあらゆる物を利用できる恵まれた環境にいるということは、この物質世界における究極の目的である至高創造人格主神クリシュナを知り精神的崇拝の境地に至るという崇高な目的に至るためです。

 

そのことを忘れてただ感覚を満足させるためだけにその恵まれた環境を使うことは本来の目的を忘れていることに他なりません。

 

生命体が不完全な体験をしているのは至高創造人格主神クリシュナを十分に理解していないために起きることであるために、バガヴァッド・ギーターではヴェーダ知識という完璧な知識が提供されています。