バガヴァッド・ギーターの師弟継承の創始者はクリシュナご自身であり、大古の昔から師弟を通して継承されてきたごく自然でこの世を超越した知識です。

 

その成果は著者プラブパ-ダの永遠の尊師である、オ-ム ヴィシュヌパーダ パラマハンサ マハー ラージャ プラブパーダに捧げられるべきものであると献辞が述べられ、プラブパーダ師がこの本を出版した意義があるならば、バガヴァッド・ギーターの真義を曲げずに解釈されていることであると示されています。

 

クリシュナから始まる師弟継承上にない、至上人格主であるクリシュナを追放したり抹殺したりする哲学者や学者によるバガヴァッド・ギーターの訳本は、マーヤーヴァーダ・バーッシャと呼ばれます。

 

彼らは物質的知識が豊富にも関わらず、至高神クリシュナについての知識に欠いていて、クリシュナと、クリシュナの内なる心は別のものだとしています。

 

しかし、クリシュナは最高神であり、クリシュナの御名、御姿、特性、遊戯のどれもが絶対で相違がありません。

 

この真実は師弟継承上にあってクリシュナを求める崇拝者 帰依者でないと理解することは出来ません。

 

主チャイタンニャは、マーヤーバーディの立場からギーターを理解しようとする者は必ず大失敗すると戒められています。

 

それはすなわち、精神向上の道にはぐれ、魂の故郷である神の国に帰れなくなってしまうということなのです。

 

バガヴァッド・ギーター あるがままの詩の目的は制約された魂を救い導くことにあります。

 

そして、クリシュナがブラフマーの一日(人間の計算で八兆六千年)に一度地球に降誕されるのも同じ目的のためです。

 

これはバガヴァッド・ギーターに述べられていることであり、人類はこれをそのまま受け入れるべきなのです。

 

さもないと、バガヴァッド・ギーターとその語り手クリシュナを理解しようとしても意味がありません。

 

何億年も前、クリシュナはまず、太陽神ヴィヴァスバーンにバガヴァッド・ギーターを語りました。

 

このことは、クリシュナに信頼をおけばバガヴァッド・ギーターの歴史的意義を正しく理解することができます。

 

しかし、クリシュナの意図を無視してバガヴァッド・ギーターを解釈しようとするのは最大の罪なのです。

 

この最大の罪からじぶんを救うためには、クリシュナをバガヴァーン・至上者なる最高神として認識することが大切です。

 

それはちょうど、クリシュナの最初の弟子、アルジュナがそうしたように。

 

このようにバガヴァッド・ギーターを理解することこそが、正道であり、人類にとっての無上の益となるのです。

 

そうすることが人間として生まれてきた使命の成就へと導くものであるのですから。

 

バガヴァッド・ギーター あるがままの詩が提示しているのは、人生における真の完成とは何かについての答えであり、人類にとって不可欠なものです。

 

だれもが、神、クリシュナの偉大さを知るべきです。

 

生物は永遠に主の召使であるという究極の実相を知るべきなのです。

 

しかし、多くの世の論争者たちがバガヴァッド・ギーターを曲解し、自分たちの悪魔的な思想や哲学を吹き込み、人生の基本的な原則に関し、人々を間違った方向へと導いてしまっています。

 

なぜなら、至上人格主であるクリシュナに仕えなければ、主の外的要素、物質自然の三要素(トリグナ)がさまざまに配合した幻惑(迷妄・マーヤー)に仕えなければなりません。そして、生と死を繰り返し、永遠に放浪しなければならないのです。

 

解脱を得たマ-ヤ-バ-ディ(非二元論者)とよばれる思想家でさえもこの輪廻の過程を繰り返すのです。

 

生きとし生けるものは、この知識、大科学を知り、本当の意味でのじぶん自身の益に目覚めるべきなのです。
 


カリ時代とよばれる現代の人々は、この主による外的エネルギーの虜になって物質的に満たされること、快適さを求めることによって幸せになれると思っています。

 

それは、生まれた時からすでに物質自然という掟に固く縛られているカリ時代の人々にとって、主の物質自然、つまり外的エネルギーの強大さは知る由もないからです。


ですが、生物は幸いなことに主の部分です。

 

そして、自分個人の物質的感覚を満たすことよりも、主の感覚を満足させるべきです。

 

外的要因に囚われた人は、自分の感覚を満足させて幸福になろうと奮闘しています。

 

しかし、自分個人の感覚を満足させることではなくて、至上人格主であり、絶対真理そのものであるクリシュナの感覚を満足させることにこそ仕えるべきであり、それこそが人生の最高完成なのです。

 

クリシュナの望んでいることは、私たちが精神知識と呼ばれるインド哲学を学び、魂の永遠の郷であるクリシュナ神の元へ帰っていくことです。

 

「デーヒー」という言葉は「この肉体を具して」という意味ですが、クリシュナ意識を高めることによって、この肉体の中にいても物質自然の影響を受けずにいられることが出来、その間も精神生活の喜びの幸福感を味わう事が出来るとバガヴァッド・ギーターには説かれています。

 

そのように物質自然の影響から開放されることによって、私たちは至高創造人格主神クリシュナへの精神的崇拝の生活を始めることができるようになるのです。