泉光院は日向の佐土原を1812(文化9)年、9月3日に出発した。

57歳であった。それからや6年2ケ月という長い旅が始まったのだ。

お供一人いたとのことだが、その間、「恙なく過ごしたとのこと。

 

さてさて、前回は、九州をまわって四国地方に入り、山陽から日本海側に

でて鳥取についたところまでを辿った。1814年の5月26日だったという。

 

鳥取⇒<但馬国・村岡⇒出石⇒豊岡⇒城崎>⇒丹後⇒大江山⇒加悦(盆を過ごす)

⇒間人(たいざ)⇒浦島村⇒伊根⇒天の橋立⇒宮津⇒舞鶴⇒小浜(8月19日)⇒

三方五湖⇒敦賀(9月6日)⇒白山登りをあきらめて南下して琵琶湖西岸⇒大津⇒

伏見の佐土原藩屋敷で15日間滞在

 

⇒京都の西の老の阪⇒丹波⇒亀岡(穴太寺)⇒京都の山国・周山⇒托鉢しながら峯定寺⇒

西に向かい山間の村々⇒和知村(10月16日大雪)⇒綾部・福知山付近の村々⇒高槻村(文化12年の正月を過ごし、2月に出発)

⇒高槻の村々⇒竹田⇒黒井⇒柏原⇒南下しだり北上したりし、西の谷をへて夜久野⇒

西に向かい、但馬竹田⇒三岳山登り⇒福知山⇒篠山⇒播磨の清水山⇒広峯⇒書写山⇒姫路(4月29日)

⇒東へ引き返して加古川⇒明石⇒大阪⇒伏見の佐土原藩邸(5月19日)

 

今の京都、福井南部、滋賀、大阪、兵庫のあたりをぐるぐると回っていたようだ。

 

 <2024年5月10日に写す。もう一鉢の君子蘭>