今年の9月頃、九州北部に

             「江戸期九州北部知のネットワーク」調査に行く予定

            そこで下調べをしいていて、なんとも面白いことを発見

 

           それは「養生訓」「和俗童子訓:など沢山の著作がある

        福岡藩士で漢学者の貝原「益軒」は、以前は「損軒」だったというのだ。

               初めて知った驚くべき事実

    

 

 

   「益軒先生は若き頃に藩主・黒田忠之より怒りを買い、浪人生活を送ります。 数年

    後に許され帰藩しそれから44年間、黒田藩に仕え「黒田家譜」を著し、また藩内

    の教育や施政に携わりますが、その間の号はなんと「損軒」だったというのです。

    何故にして「損軒」なのか、その理由は残念ながら伝わっていないようです。
   そして引退した先生は「益軒」と改め、「筑前国続風土記」を脱稿し四代藩主・黒田

   綱政に献上、本格的な執筆活動に入り「大和本草」、「和俗童子訓(わぞくどうじく

   ん)」、「養生訓」 をはじめとする数多くの著作物を残すことになります。」

        

  

     損軒から益軒への改号の理由についてこんな記事があり、面白かった。

            

     https://www.takusankan.net/article/200808article_15.html

  

      確定ではないが、行程は福岡市ー太宰府市―柳川市ー日田市―日出町を

              考えているところ