拙ブログを読んでコメントしてきた方とのやりとりで

鑑真和尚が坊津から奈良に行くまでの行程がある程度

分かりけてきた。

 

坊津から大宰府までは陸路ではなく海路を利用した

(私の出身地・鹿屋よりもはるからに遠い地である

坊津から陸路で大宰府に向かうことなど、そもそも

想像できなかったのだが)が、そのルートには2説

あることが佐賀市の久保田町市上巻(上述の方に

紹介していただいた)で分かった。

 

https://www.city.saga.lg.jp/site_files/file/usefiles/downloads/s34633_20130124012455.pdf

 

 

 

 

その方は精力的に文献を読んだり、問い合わせをしたり

なさっているので、行路解明がかなり進むのではないかと

期待をしているところ。

 

かなり以前、苅谷俊介さんから、大宰府から

有明海方面には古代の官道(駅路)があったことを

教えていただき納得したことを踏まえると

私は、、現時点では、鹿瀬津ルートが有力のように思える。

 

 

こんな

 

 

記事も発見

 

「佐賀市久保田町の県立森林公園で、鑑真和上ゆかりの花「瓊花(けいか)」が見ごろを迎えている。

鑑真が奈良時代に嘉瀬津に上陸したという伝承にちなみ、中国・揚州市から贈られた約40株が純白の花

を無数に付け、かれんに咲き誇っている。」

 

まだみたことのない「瓊花」。唐招提寺にもあるとのこと。

 以下より借用