昨日のd拙ブログの続き。またまたご了解などえずにここに紹介させていただく。申し訳ありません。

 

奥様の故郷鹿児島に住みつつ多くの書を紹介されているフーさんのブログ。最近のブロブで紹介された福山隆著「陸軍中野学校」のなかに、以下のような文章があった。

 

 

「第1章では、陸軍中野学校の経緯と特色を概観する。

教官による一方的な講義ではなく、教官と生徒が議論を重ねながら学習と研究を進めていく。そこには、吉田松陰の松下村塾、広瀬淡窓の桂林荘、福沢諭吉が学んだ適塾における教育風景をさんおさせるという。P56」

 

ここに出てくる広瀬淡窓といえば「咸宜園(かんぎえん)」なのに、桂林荘???調べてみたら咸宜園の前身にあたるとのこと。知らなかった。そこでの学びの在り方を調べたい、

桂林荘を引き継いだ咸宜園にについては結構研究されている。が、まだ不明のことがある。全国から多く塾生があつまり、学んだのだが、そのなかに女性が二人いたと言われている。しかし、その素性は分かってはいないようだ。どういう女性が、どんなきっかけて、どこから来たのか知りたい。

 

拙ブログを書き始めた頃から、フォローさせていただいているYuko.Hさんのブログは人の生き方、考え方を論理的に展開されており、多くのことを学ばせていただいている。手書きのイラスト「量子くま(Quantum Bear))」については、「ちょっとおっちょこちょいで不器用な私の分身」と紹介されているが、「量子」という言葉に象徴されるように、物事を筋道立てて考えようとされる姿勢は凄いなあ、といつも感心している。そして、羨ましいのは最近お建てになった自宅が、何とも綺麗な海の近くにあり、たっぷりとその自然の豊かさを味わっていらっしゃうこと。

最新のブログ記事

 

 

<カラスビシャクに似ている???>

 

 

古代文化研究所さんのブログは、古代史、古代文学に関するkなり専門的内容に満ちあふれいて、じっくりと読まないとついていけない。すでに多くの記事を書かれており、まだまだそのすべてを読むことはできないでいる。「邪馬台国」の存在についても独自の考えを展開されており、興味深い。読ませていただきながら浮かんできた疑問について尋ねていいでしょうか、とお願いしたら、こころよく了解いただいたのだが、私の理解力不足でまだまだ疑問を送ることができないままである。「邪馬台国」関連記事は100以上を超えている。その一つがこれ。

 

 

<続く>