茗荷谷駅改札を出てすぐ左にいくと拓殖大学や茗荷坂、

 茗荷谷駅改札を出てすぐ左にいくと拓殖大学や茗荷坂、改札を出て右にでて、大通りを左にそっていくと跡見女子大学やお茶の水女子大学、大通りを渡ってほぼまっすぐ行くと東京教育大学だった。

 

 拓殖大学生と教育大学生とは一目で、判別できた。着ているもの、髪型が違っていたからである。拓殖大学キャンパスに足を踏み入れたことはない。

https://www.try-sky.com/town/saka/myoga/

 

 ところで、大学の正門に行くのに道路の左側にあった大塚女子アパートがった。後になって知ったのだが、これは同潤会建物の一つで、作家の戸川昌子やバイオリニストの小野アンナ(彼女については近々ブログで取り上げることにする)が住んでいたことで知られている、

http://tue.news.coocan.jp/memories/

 

 

 そのアパートの入り口横に、靴磨きの親父さんが座っていた。その前を通ると必ず「学生さん、靴磨いた方がいいよ」と、低いガラガラ声を聴かされた。貧乏学生だったのでめったに靴など磨いてもらうことはなかったたが、奨学金が入った時などはたまに声引き寄せられることがあった。

 この親父さんのことについての記事をみつけた。

https://www.facebook.com/東京教育大学-319674094712783/

 

元同僚のIさんが教えてくれた茗荷谷界隈の写真

http://www.dagashi.org/tokyo/myogadani2.html

 

 

 貧乏教員の家庭だったので、高校から当時の日本育英会の奨学金をもらっていた。学部の4年間(学園紛争の関係で5年間で卒業)そして修士・博士課程の5年間もその恩恵にあずかった。

 

 一番助かったのは、当時は教員になれば奨学金を返還しないですむという「返還特別免除制度」があったこと。この制度の恩恵はかなり大きなものだった。だが、平成15年度以降の採用者からは廃止されたしまったのである。丁度、小泉内閣の@「構造改革期」であり、義務教育費国庫負担法が改正された時期である。

 それ以降、日本育英会は日本学生支援機構になり、返済取り立てを厳しくするようになり、借りたものの生活を圧迫するようになってきた。

 この問題についてはこの本に詳しい。