12月3日は国際障害者ディである。これは「障害者に関する世界行動計画」が1982年12月3日に国連総会で採択されたのを記念して設けられたものである。

 久しぶりに教育インタナショナルのHPをみてみたら、国際障害者ディについてのコメントがトップ記事になっていた。その書き出しは「教育インタナショナル(EI)は、四半世紀以上前に創設されて以来、障害者の権利のために闘ってきた。 EIはその時以来、主要課題には、障害のある人の人権一般の問題と、特に障害のある子ども、教員、教育者の人権に関連する社会問題の解決を課題としてきた。2015年にオタワで採択された障害児と教員の権利に関するEI政策を繰り返した確認した最近の決議では、学校に通っていない子どもの推定40%が障害を抱えていると指摘し、インクルージョンを確実にするための緊急行動を求めた。」

 ところが、同記事の関連記事として、日本人が書いた記事があったので、クリックして入ってみたら、Mitsunori Hoshinaという名前で「後悔を超えて:一緒にいるために必要なもの」という記事題になっていた。彼のプロフィールを見るとJTUの青年部長で山形県教職員組合の出身となっている。彼自身が書いたブログが英訳されて掲載されているようだ。

 その内容は山形の小学校で、ある障害をもった女の子の4,5年生で担任をした時、それまで通常学級で学んでいたけれど、5年生になったら、教科学習の面などで困難が見られるようになった。そこで彼は、将来のことも考え6年生では彼女に適した指導が可能な「特別支援学級」への転級がいいのではないかと判断し、保護者にも特別支援学級での就学をすすめ、その結果、彼女は1日に2時間の共同学習つきながら特別支援学級に就学することになった。そのことをクラスにに告げたとき、彼女が流した涙が忘れられなかった。

 彼はJTUの執行委員なって、障害者の権利条約が規定するインクルーシブ教育や合理的配慮のことを学んだ。その学びに照らして、自分がしてきたことを振り返ってみて、他の子どもたちに教科学習で追いつかせることだけを考えた結果、それまで子どもたちの間でできていたインクルーシブな関係を壊し、しかも、彼女自身の気持ちを聞いていなかったことに気づき、

後悔していることが素直に綴っている。

 任期をおえて、彼は来年4月から現場に復帰するという。そして、この後悔を踏まえて、誰もが受け入れられ、助け合える学級を作っていくという決意を述べている。

https://worldsofeducation.org/en/woe_homepage/woe_detail/16569/“beyond-regret-what’s-needed-to-stay-together”-by-mitsunori-hoshina

 

 こういう記事がEIのHPに掲載されたのはあまり見たことがない。インクルーシブ教育についてその推進のためにいろいろ考えてきた私にとって、非常に興味深い記事であった。