佐賀県でおきた教員大量退職を問題を背景に、一人の女性教員の自立を描いた石川達三の『人間の壁』を原作として作られたこの映画を見ると、当時の時代状況がよく分かる。

 1957(昭和32)年8月から1959(昭和34)年9月にかけて朝日新聞に連載された小説が映画化され,公開されたのは1959(昭和34)年10月18日だった。山本薩夫監督のもとに主演の香川京子のほか、宇野重吉、沢村貞子、南原宏二や、若い宇津井健、三ツ矢歌子など当時の実力者俳優たちが出演しており、そのこと自体が興味深い。三ツ矢歌子は、当時の日本人女性とは雰囲気の違う美人教師役(原作でどう描かれていたかは未確認)だった。

 

<香川京子と宇野重吉>

https://filmarks.com/movies/12910>より

 

 

   <https://aucfree.com/items/b213350779

 

 

映画の大きなテーマのそれぞれ一つであった教育行政の問題、教職員組合の在り方などほ他、いろいろ考えさせられるものをアット・ランダムにあげておこう。

 九州というせいもあっただろうが、男尊女卑的な、それとかかわって固定的な役割分業の考え方が随所にみられた。映画自体がそれを肯定しているわけでは、もちろん、けっしてない。主人公の夫が「男が大根などぶら下げて帰ってこられるか」と怒鳴りつける場面など。

 今のような相対的貧困ではなく絶対的貧困が目に見える形であった。海岸べりのほら穴の住居に病気がちの父と住んでいる男の子がいた。洞穴から出てきた父は「自分が無学ばかりに子どもに迷惑かけている」と話す。戦前に貧困故に学校に通えなかったのであろう。名前から類推するに朝鮮出身の炭鉱労働者だったようだ。また、安いノートを買いにでかけて操作場で列車に轢かれた子やその棺桶を自分で作る父がすむ粗末な長屋など。

 5年生担任をしていた主役が欠席している上記の洞穴にすむ男の子を訪ねる途中、小さな子どもを背中におんぶしている子どもたちに出会う。これは私が子ども時代にもあったが、今ではあり得ない光景。

 また職員室では教科書を買えない子どもの話もでてくる。憲法第26条第2項で規定する「義務教育は、これを無償する」が、公立学校の授業料だけ不徴収だった時代である。しかし、教科書が私立学校も含めて無償給与されている今でも、教育に関する家庭の負担は大きい。

大問題である。

 映画では蒸気機関車が走っており、学校の校庭にもその汽笛が響いてくる。炭鉱の話が随所に出てくる。とういうことは、まだ石炭から石油への転換が終わってない時代だったようだ。

 教室でも校庭でも、子どもたちがあふれている。団塊の世代のトップである私が生まれたのは1947(昭和22)年なので、小学校入学が1954(昭和29)年4月。ということはこの映画が公開された時、私は小学校5年生で、主役が担任になっている学級と同じ学年。法規的には学級定数は50人だったはずだが、実際にはもっといたような感じがした。とにかく子どもがあふれていて、人口減少ではなく人口増加が危機的に語られていた時期である。

 5年の担任のなかに、冷たい感じで、ちょっと斜めに構えた男性教員がいる。他の教員が舗装されていない砂利道を歩いているのに、その彼はスクーターにのって下校する場面がある。彼だけ資力があるのは、家庭教師のアルバイトをしているからだ。安月給の時代、教育界ではアルバイト・プレゼント・リベート(=三ト)と言われる状況があった。これも今では考えられないことだ。 

 書き出すときりがない。この映画の上映会をして、教育の基本的な在り方を議論したいとなんどか思ったが、実現しなかった。これを書きながら、そういえば原作をもう一度、読みたいという気持ちがわいてきた。

 

 *追記:そうそう、職員室、列車のなか、家などたばこを吸っている場面が数多く出てくるの

   も今とは違う光景である。