暮らし不慮の死を遂げられた人、恐ろしい犯罪を犯してしまった人、重度の障害者、自殺してしまった人、これらの人々を見ると、自分だってそうなっていたかも知れない、と思うことがあります。私がそうならない代わりに、この人がそうなったのではないか、とすら感じることもあります。私が今の私であるのは偶々そうなのであって、何の必然性もない。 日々の暮らしの中で思うに任せぬこともしばしばですが、静かに生きることを許されて今日も終わろうとしています。 明日はどうなることやら。 明日はどうなることやら。