私たち盲人は、イエスに触れられることによって、目が見えるようになります。目が見えるようになるとは、人が見えるようになること、人が如何なる者であるかが見えるようになることです。これは、神が如何なる御者にましますかが見えるようになることと表裏一体です。
 
私たちは一度ならず二度三度、何度もイエスに触れていただく必要があります。一度だけではっきり見えるようにはならないからです。これが祈りです。祈りはイエスに触れられることです。祈らないキリスト者は何者でもありません。
 
イエスに触れられるには、「村の外に連れ出される」必要がある場合があります。霊的に悪影響を及ぼす人、集団、交わりと関係を断たなければならないということです。また、一旦目が見えるようになっても、再びそこに戻ってしまうと、また見えなくなる危険があります。だから、イエスは「この村に入ってはいけない」と言われました。
 
マルコによる福音書8章22-26節