8月5日、取材を受けました。ビアンコーネではなく、本業での取材で、郡山市中心に無料で配布している「aruku」という雑誌の取材で白河・猪苗代と回ってきました。初めて聞く雑誌でしたが、結構、30代40代の女性には人気のある雑誌だとか、a.ru.ku出版代表の河内さんと一日一緒ですた。移動の車中で、河内さんもNPO法人の代表をされており、同じNPO代表同志話が盛り上がりました。その中で、私の考えをぶつけてみました。

Jリーグを目指して創設したビアンコーネ福島も1シーズンで終わり、今は育成中心に活動しているものの、ピアンコーネ1期生は今高校3年生、皆、大学進学し、4年後には帰ってきてビアンコーネに戻ってきてくれるでしょう。それからが再スタート、Jリーグは目指さないものの、最低JFLは目指したい。できれば、10年後に。その頃は、放射能もきっと落ち着いているでしょう。その時に向かって、ビックスポンサーをとるのではなく、郡山の商店・企業さん、市民のみなさんからサポートしてくれる方々を募り、最初は小さな輪でも10年後には大きな輪にしていく、サッカーだけでなく、色んなスポーツができる場を作りながら、市民の皆さんの機運が高まれば、再度Jを目指してもいいかな?今まで郡山では福島FCに続いてビアンコーネ福島と2度Jを目指すチームが出ましたが、成功しませんでした。それは、地域密着ができていなかったからだと思います。だから、焦らずに、地域の輪を広げながら、最終的にJを目指すことになればいいかな。というようなお話をさせてもらったところ、河内さんも支援をしてくれるとのこと。背伸びをせず、可能な範囲での支援で結構です。ほんとありがとうございます。少しずつ支援の輪が広がっているのを感じております。ありがたいことです。