なみ平です。
クリスマスカードや年賀状に「新年の決意」「New Year's Resolutions」等と若い頃書いていた。
先輩には「上市に向け、顧客満足を追究したい」、同僚には「取り巻く環境が厳しくなりますが、⚪︎⚪︎⚪︎を頑張ろう」、友人には「ギターをはじめたよ」などなど。
最近の年賀状というと
「今年こそ会いましょう」「健康第一だね」「一献願います」「業界環境も厳しくなりますが、頑張ってください」 毎年同じことを書いてきた。
大晦日に熱い風呂に入りながら1年を反省することもなく、年頭に何の決意も示さず、神社に行き、家内安全、健康第一、みんなハッピーにをお参りするだけ。
今年も新年早朝に、氏神さんにお参りに行き、2日目は秩父神社をお参りした。
氏神さんも秩父神社も10年前に比べて参拝者も倍に増え長蛇の列だ。
皆何を祈っているのだろう。
いつからか、神様は、頑張っている人だけに、幸運の女神が舞い降りお願いをサポートしてくれるものと思うようになった。
新年には、間に合わなかったが何か決意を表明しよう。
新渡戸稲造は「発心を忘れずに継続を」と『修養』の中で説いている。
『新渡戸稲造の至言』の著者、藤井茂さん、長本裕子先生は「新渡戸は年の初めに守るべきことを箇条書きにして、それを常に心がけるように、1日の終わりには反省をこめて祈り、それを毎日続けた人でした。常に意識することが大事なようだ」と解説している。
その通り。決意表明だ。
決意1,
守るべきことをメモにとり日々意識しよう。
決意2,
自分ができることを実行しよう。頼まれたことはまず実行しよう。その上で、学ぶ必要があれば深く学んでいこう。
新渡戸稲造。昭和6年、自らが設立し校長を務める札幌遠友夜学校を訪問した。
新渡戸は、夜学校に通う貧しい子供たちに優しく
「学問より実行」を説いて聞かせた。
普通、「より」は、学問を積んだうえで実行というfromという意味と理解する人が多い。
夜学校に通う子供たちへのメッセージであったこと、教育は人格の形成と唱える新渡戸の精神を思うと、よりは、「学問よりも実行」であったと理解したい。moreだ。
世の中のためになることを兎に角実行しなさい。
学問より実行のよりは、話し手、相手によって意味が変わるように思う。
なみ平が新渡戸からこの言葉、どう思うと聞かれたら?つい難しく答えてしまい叱られてしまう。
学問と実行は相互補完的な関係。一方が他方を支えるもの。学びを深めることでより効果的な実践が可能になる。逆に実践を通して学びがより実用的なものとなる。この相互作用が、持続的な学びと成長を促進する。こんな風に、サラリーマン経験者は理解し答えてしまう。
自分の周りで頑張っていた人を浮かべると
知識を吸収して、資格をとり、それから実践しようと思う人が多かった。
勉強すれば偉くなれる、道が開かれると信じていた。
一方、昇進し会社で偉くなった人は、使命感を持って新しいことにTRYし、それから学ぶという人が多かったように思う。人事異動で新しい部署への配属になり、配属後、兎に角、傾聴し、勉強などせず3か月でいろいろ実行する人が変革をもたらしているように思える。傾聴することで、課題の肝を掴み、実践していく。そして、傾聴し読書をする。
スピードが第一だ。そして、5年くらい経つと、学ぶこともなくなり去る。
新渡戸映画の公開は夏。
既に90段目の階段を登った。
あと、9段、そして最後の1段が高いハードルだ。
走りながら反省し学んでいこうと思います。
人との出会いが、モチベーションの礎。
新渡戸映画で出会う人は、元気をくれる。
今年も宜しくお願いします。
新渡戸の夢の予告編が完成しました。
まだまだ、ハードルはあります。