どうも!自称「歌う物書き」まみちです。
月の最後の金曜日だけ、このヴィアーレの仲間たちのブログ登場する私ですが、いやはや、もう一ヶ月経ったんですね。
今月は最近の星の動きのトピックも多く、それに連動したサインとして象徴的な出来事もあったので、珍しく?自分のブログにもちゃんと書いてたもんで(笑)
本日はサザンの番組もあったし、朝はラグビーも見なきゃだしなので
早めに書いて予約投稿。
星の動きや世間の流れについては、興味の無い方も多いでしょうが(笑)
世の中が変革の流れが来ていること、特に日本はもう強制的に変えないとアカンくらいになっていること位は、うすうす感じ取っておられるのでは?
と、いうことで。
いーかげん、変化してほしい、この人について「愛すればこその苦言」書いてみました。
中森明菜 さんでございます。
あ、ちなみに私は一般人ですから、芸能人・有名人のひとたちは普段から呼んでいるように書きます。敬称のありなし、は普段の呼び方です。
オトナブルーでアキナブルー
私が最近、気に入っている若い子達の中でも、群を抜いてキレッキレなのが
新しい学校のリーダーズ。
彼女たちの曲を聴いたとき、私は真っ先に思ったのだ。
ああ、明菜がいまでも第一線に居たら
こういう子たちと刺激し合えるのに
でも明菜は居ない。だから、代わりに私が歌う。
自分の心の穴は、人には埋められない
明菜の歌のうまさについて、異論を述べる人はいないだろう。
しかし、うまいだけでは生きていけないのが芸能界・・・
いや、どこの世界でも実力と運は必要だろう。
ただし、運 という意味では明菜は、運も持っていた。
では、なぜ明菜が他の82年組アイドルたちのようにテレビで活躍していないのか。
世間一般ではマッ●とのあの件 みたいな言われ方をされるが、
私は直接的な原因は彼女自身の内面にあると思っている。
なぜなら、スター誕生に出場した時から私は明菜のファンとして彼女を見続け、その歌声には惚れていたが、とても不安定なものを感じていたからだ。
明菜を心配した理由は以下の2つだ。
1. プロ歌手としての自覚
2. ギフトの大きさと、人としての器のギャップ
プロの歌手としての在り方
改めていうが、私は明菜は大好きだ。
大好きだからこそ、苛立つ。ああ「じれったい、じれったい」のだ。
スター誕生に出て、欽ちゃんにインタビューされている時から、私は明菜に違和感を感じたことを覚えている。
緊張もあるのだが、いつもポソポソと震えた高い小声で、なにかあるごとに
「お父ちゃんが、お母ちゃんが」と家族の話をする。
「家族も応援してくれているので」と満面の笑顔を客席の家族に向ける。
少女Aがヒットして、注目されるようになってからのインタビュー記事でも、苛ついた。将来の夢を聞かれた明菜は、こういうことを答えていた。
歌手として大成して家族を幸せに出来たら、最終的には
山口百恵さんのように今度は自分が家庭に入って家族を幸せにしたい
当時、大ファンとしての私はガッカリした。
・・・んな花嫁修業の腰掛けでやってます、みたいなこと言うなよ、明菜。
家族のためだけに歌うんだったら、親戚が集まる忘年会や新年会で歌っとけよ。
それは、ファンに対する裏切りだぞ、と。
その懸念が、あの金屏風事件でハッキリ形になってしまった。
どれだけアーティストとして大成功し、大人の歌い手になったように見えていても
本当に彼女が望んでいたのは、歌手として成功した後の結婚、引退。
中身はいい意味でも、悪い意味でも成長していなかったのだ。
歌い手としての自分よりも、女としての自信が欲しかった明菜
1985年に公開された映画での共演がきっかけで交際が始まり、家族や事務所も黙認し、結婚はタイミング次第と思われていた明菜と「あの人」。
順調交際の間は、仕事も順調だったが、1989年の夏に破局。そしてその年末。
あの会見で明菜は、事実上「第一線から去る」ことになる。
憧れていた結婚、引退ではなく、傷心からの人格崩壊による引きこもり、が事実に近い。
世間では、さまざまな説が流れたが・・・
でも正直そんなこと、今となっては、どーでもいいのである
問題は、一年半後の90年にシングルをリリースし、復帰をアピールしたものの、それ以降の活動が安定しないことだ。
それは明菜自身が自分に与えられたギフトの大きさに、人としての器、プロの覚悟が追いついていなかったことを自覚し、しっかりとこれからの自分と向き合う時間を作ることが出来なかったから、だと私は見ている。
自分と向き合うことを怖がり、周囲の「儲け主義者」たちの本音を見抜けず「必要とされること」に依存して復帰を急ぎすぎた。
いままでの実績で十分稼いでいるのだから、のちの宇多田ヒカルのように
「人間活動」なり、休養なりして、本当に歌いたくなってから活動再開すれば良かったのに、それをハッキリと自己主張出来ないほど、明菜のアイデンティティは幼かったのかも知れない。
結局のところ、歌もファンも明菜の支えにはならないのか
わたしは、明菜ちゃんの歌声に惚れて「スローモーション」のシングルレコードを買ったのだよ。下敷きもほっぺのぷっくりした明菜ちゃんだったのだよ。
その明菜が芸能界で歌手として成功し、他の可愛いだけの下手くそなアイドルたちを置き去りにするほど輝いたことは、本当に嬉しかった。
けれど、あの事件でボロボロになってテレビに出られなくなった、歌えなくなったことは本当に悲しい。
今でもテレビにそこそこ出ている、あの人やこの人なんて、歌手としてもタレントとしても「一般人に比べたら・・・」低度である。
けれど、その低度だったからこそ、歌番組が少なくなった時代でも多くを望まず、バラエティで街ブラやクイズに出て、おバカ回答で笑わせることも出来る。
しかし、明菜くらいビッグになってしまうと、テレビ局側が賑やかしに便利に使うには難しい。
だったら松田聖子のようにしたたかに、歌手としての活動のみを極めていけばよかったのだ。キョンキョンのように、自分を遊ぶ客観性もないのだから。
けれど、明菜はどれも出来なかった。
あの歌声と実力と繊細な表現力を愛すればこそ、同年代の女性として
金の亡者たちの餌にされてしまった明菜の弱さに
「イライラするわぁーーーーー」なのだ。
明菜、人として元気になれ! ツンデレの元祖として開き直って、ここから新しい時代を生き抜け!
ぜんぜん明菜と関係ないですけど(笑)このブログの仲間たちが関わっているドキュメンタリー映画、各地で上映中です。詳しくはこちら。




