なみへいです。

来年からの一万円の顔は渋沢栄一だ(1840年~1931年)。
渋沢栄一は、新渡戸稲造(1862年~1933年〉に劣らず明治の巨人だ。

渋沢は新渡戸の22歳年上、伊藤博文の1歳年下。

明治政府ができたのが1868年。

その時、新渡戸は6歳、渋沢は28歳、伊藤は29歳。徳川慶喜は31歳。西郷隆盛は40歳。勝海舟は45歳。ちなみに、牧野富太郎も6歳だ。

1868年を起点に歴史を見ていくといろいろ気づきがある。看板持ち

 

朝ドラ「らんまん」に登場する牧野富太郎は1862年生まれ、ダーウインの『種の起源』の発刊は明治が始まる9年前の1859年だ。この頃、農業、水産、植物、工学、医学が学問の主流だった。

こんな風に、他の明治の偉人との比較、欧米のイベントから牧野富太郎をみても面白い。看板持ち

 

さて、渋沢栄一。

渋沢は、現在の埼玉県、深谷の豪農の家で生まれ、幼い頃から父に学問の手解きを受け、従兄弟(尾高惇忠)に小さい頃から『論語』を学んでた。

ある時、偶然、慶喜の家臣に出会い、その後、武士(一橋家家臣)に取り立てられ、徳川慶喜の将軍就任で幕臣となってしまった。そして、明治政府では官僚も務めた。

渋沢栄一は、明治が始まる、一年前、1867年
当時27歳の幕臣だった渋沢は、パリ万博に参列する将軍徳川慶喜の弟・昭武に随行した。一応役割は、会計係兼書記だ。

渋沢栄一は、この機会を喜ろこび、急成長をしているフランス、イギリス、ドイツなどの社会システム、文化を学んだ。
 

特に、パリへ渡る船の中では、フランス語の勉強を始め、フランスで資本主義システムをはじめ多くのことを学んだ。

渋沢栄一は、銀行を中心とする経済のシステムと株式会社による近代資本主義の仕組みに心を掴また。

 

多くの人々から集めた資金をもとに事業を行い、

利益を分け合う資本主義の考え方に感銘を受けた。

 

その頃、幕府が各地から集めたお金で、大きな事業を行った。お上が全て行う仕組みだ。

渋沢は、お金を持っていない人でも、民間人でも、志が高ければ、世の中を変える大きな事業ができる仕組みを、フランスで学んだことを生かし、高い志と実行力により実現した。


そして、他人のお金で事業をするので、事業を行う人は、誠実で嘘つきではいけない。

お金を出した人、事業を行う人、実際に働く人たが、事業で得た利益を公平に透明性を持って還元される仕組み作ったわけだ。

意外とこれが実際に難しい。

 

なんちゃらモーター、なんちゃら芸能事務所など、

儲け主義に走る企業、人権を無視する会社など、そんな会社を渋沢は作ろうとはしなかった。
 

まさに、渋沢栄一は、日本の資本主義の父だ。

温故知新でないが、今一度、渋沢の夢見た日本を語るのも良いかもしれない。会社はなんのためあるのか、組織は何のために作るのか、組織を支える人にどんな教育をすべきか、誰がそれをすべきか、

言葉足らずで誤解を避けるために、あえて言うならば、誰もが幸せを感じる社会を作るために組織がある。

 

なんちゃら芸能事務所などは、時代遅れの日本が産んだ不祥事だ。

難しいが国が関与しルールを作らないといけない。

渋沢の実行力、企画力、リーダーシップなどを学ぶところが多い。

 

こんなことを考えつつ、8月19日に、渋沢栄一と新渡戸稲造をテーマとしたオンラインイベントを開催した。

実はこの2人、渋沢が60歳を超えて、出会い、協力をしあい、様々なことを実行した。そんな話の内容。

 

ご興味があればご視聴ください。

 

 

そして、次回は9月21日。

時 :9月 21 日(木)19:30~ (19:20~入室可能)
演題 :札幌農学校 初期の卒業生群像
演者 :藤田正一氏 北海道大学名誉教授
聞き手 :藤井茂氏 新渡戸基金 理事長
参加費 :無料
開催方式:
詳細は、

 

 

最後にBGMです。聴いてください。