なみ平です。

新渡戸稲造博士の命日祭が盛岡市サンセール盛岡で10月16日(日)開催されました。
命日祭では、花巻生まれの宮沢賢治の実弟・清六さんの孫で花巻に住む林風舎の宮崎和樹代表と

新渡戸基金の藤井茂氏が、「宮沢賢治と新渡戸稲造との共通点」について対談をしました。
 

 

・新渡戸稲造
岩手県盛岡生まれ
1862年9月1日(文久2年8月8日)-1933年(昭和8年)10月15日(71歳)
・宮沢賢治
 岩手県花巻生まれ
1896年(明治29年)8月27日  - 1933年(昭和8年)9月21日(37歳)

演者の宮崎氏は、生涯で一度しか会ってない2人であるが、宗教観にとらわれない度量の大きさが共通していたと

紹介されました。仏教徒の賢治が他宗教にも理解があったことにふれ、「宗教のくくりを超え、国際連盟事務次長として世界をまとめた新渡戸の考えを感じていたと思う」と影響を受けていた可能性を話されました。
藤井氏は、世界共通言語を目指してつくられ、賢治が学んだエスペラント語について「国連は英語とフランス語が公用語だったが、新渡戸もエスペラント語に大変興味を示していた」と類似性を話されました。

今日、電話で、新渡戸基金の藤井氏に詳細伺ったところ、宮沢賢治は非常に読書家で特に言語に対して敏感で興味もあったことからエスペラント語を覚えたそうです。新渡戸稲造は、国連在籍中に、エスペラント語をつくったポーランド人、ザメンホフという眼科医に似ているといわれていたそうで、新渡戸がなぜ紛争をおこるかと考えると、それは言葉の違いにあると考え、回避するのは共通の言語が必要であろうと、エスペラント語に大変興味を持ったそうです。

恐らく、なにか、簡単に覚えられ、多くの人が使える言語を求めていたのでしょう。

私の勝手な想像だが、新渡戸は、国を人一倍に愛していたので、その国の言語を大事にしつつ、共通の言語があれば、世界中のひとが誤解や偏見がなくなるであろうと考えていたのかもしれません。
 

そして、宮沢賢治も新渡戸稲造も徹底した利他を追究していることがうかがえます。

どうして、こんなに優しのでしょうか。

「雨にも負けず」 宮沢賢治
雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫なからだを持ち
欲は無く
決して瞋からず
何時も静かに笑っている
一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜を食べ
あらゆる事を自分を勘定に入れずに
良く見聞きし判り
そして忘れず
野原の松の林の影の
小さな萱葺きの小屋に居て
東に病気の子供あれば 行って看病してやり
西に疲れた母あれば 行ってその稲の束を背負い
南に死にそうな人あれば 行って怖がらなくても良いと言い
北に喧嘩や訴訟があれば つまらないからやめろと言い
日照りのときは涙を流し
寒さの夏はオロオロ歩き
皆にデクノボーと呼ばれ
誉められもせず苦にもされず
そういう者に
私はなりたい
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命日祭は、野澤監督も参加しました。

デレデレデレデレ なんとクイズ大会で2位。ウインク 


 

 

最近、なみ平が練習しているアイリッシュの曲,

「Irish Washingwomen」 

 

 

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