kiriです。
どもです。
さぁ、クリスマスも過ぎたし
お正月も、去っていった。
またまた男らしさ、
今回も行っちゃいます。
ジャン、3回め。
1970年代
まだまだ、男らしさが死語じゃなかった時代。
流行り歌に見られた男らしさ。
前回はいしだあゆみの歌詞に出てくる男らしさを紹介しました。
1972年 昭和47年。
そして今回は、男性の歌。
ダークダックス いつかある日
まずは、歌詞。
いつかある日 山で死んだら
古い山の友よ 伝えてくれ
母親には 安らかだったよと
男らしく死んだと 父親には
伝えてくれ 愛しい妻に
俺が帰らなくても 生きて行けと
友よ山に 小さなケルンを
積んで墓にしてくれ ピッケル立てて
俺のケルン 美しいフェイスに
朝の陽が輝く 広いテラス
友に贈る 俺のハンマー
ピトンの歌う声を 聴かせてくれ
で、音楽行きます。
ダークダックス いつかある日
この歌の主人公は、友に語る。
山で遭難して、もし死んじゃったら父親にこう伝えてほしい。
「男らしく死んだと」
オイラは、命をかけて、行動する人に
なんだかメッチャ弱くって
もう、それだけで、なんていうか、ジンと来ちゃう。
わぁ、すげえなぁ。
で、こう思う。
オイラごときがさ
こんなオチャラケタ文章で、この曲の歌詞を扱っていいのかな。
そして臆す。
オイラは、命をかけるほど、真剣に生きたことはない。
断言する。
決してえばれるトコロじゃないんだけど。
そう言えば、ちょこっとだけあるかもしれない。
原付バイクを運転するとき、もしかすると命をかけてたかも…。
怖かったもんな。
今の時代
今の感覚では、
おいおい、山登りに命をかけてどうするんだよ。
単なるバカじゃん。
奥さんや、親がかわいそう。
そういう意見が出てくるのかもしれない。
そしたらさ、オイラは聞きたい。
な、おまえさ
ちょっと聞くけどさ
あのな、何も命かけなくてもいいんだけどさ
うん、それは単なる例えであって…。
でさ、命をかけるくらい、必死になったコトってあるかい。
あのさぁ、オイラは、ないんだ。
ホント、いい加減で、テキトーなヤツなんで、オイラ。
だからさ、
山に登ることであっても、命をかけたヤツ
オイラは尊敬するよ。

さぁ、話を戻す。
この歌の主人公の男らしさは
山に命をかけて散っちゃっても
それでいいんだと思える
潔さ。
そしてさ、それ以上に
命をかけて、物事にあたる必死さ。
ウイキで、この歌を調べたんだけど
どうにもわかりずらい。
登山する人たちの間で、自然発生的に歌われた歌だったのかもしれない。
現代における民謡みたいなモンなのかな。
それから
「女性自身」という雑誌が1950年代に
記事として紹介して、世に広まったらしい。
そして、ダークダックスが、取り上げて歌ったのが
多分、1970年代。
いしだあゆみと同時代なんだろうと推測する。
昭和には、すごい男らしい男がいた。
そしてさ、いしだあゆみの歌のように
女性も、男性に男らしさを望んだ。
でもって、世の中
ダークダックスもいしだあゆみも受け入れた。
「男らしい」という美意識が
美意識としてしっかり存在した時代。

前回のこのブログのまみちの記事。
すごい説得力があった。力強かった。
(よろしかったら、ひとつ前のブログを読んでくださいな)
オイラも、読んで、なるほどと思った。
ママは強い。
体を張っての命がけ。
子どもを産むってのは、すごいことだよな。
ということは…
今、世の中で一番、男らしいってのは
もしかすっと、ママだったかのか!
ん、マズイかな。
今の時代にこんなコト書いてると叱られるかな。
ヤバイ、逃げろぉ~って、いつものオイラなら
なっちゃうんだけど
今回は、男らしく、言い切って終わろうと思う。
男らしさは、命をかけるほど、真剣なこと。
ダークダックスの歌をしっかりと聞いたら、そだな、と、思った。
うん、オイラは確信した。
そして、その男らしさってのは、
男性でも女性でも、そんなの関係ない。
命がけの必死さは、どちらであっても、美しい。
なら、男らしいっていわない方がいいかもな…。
なんか、いつものオイラのパターンで
こんがらがってきたぞ。
きっと、もうすぐ収拾がつかなくなる。
ん…
男らしい=女らしい。
アレレレレ、数学になっちまった。
おおお、ますます、訳わからなくなってる。

男らしさに憧れる時代遅れの
でもって、アナログなオイラが、ディレクションしたCD
「音楽の処方箋」
よろしかったら、お聴きくださいな。
とは、いっても、男らしい音楽が入ってるわけじゃ
まったくないんだけどさ。
こちらで購入できます。
製作委員会の販売ページ
どもです。
さぁ、クリスマスも過ぎたし
お正月も、去っていった。
またまた男らしさ、
今回も行っちゃいます。
ジャン、3回め。
1970年代
まだまだ、男らしさが死語じゃなかった時代。
流行り歌に見られた男らしさ。
前回はいしだあゆみの歌詞に出てくる男らしさを紹介しました。
1972年 昭和47年。
そして今回は、男性の歌。
ダークダックス いつかある日
まずは、歌詞。
いつかある日 山で死んだら
古い山の友よ 伝えてくれ
母親には 安らかだったよと
男らしく死んだと 父親には
伝えてくれ 愛しい妻に
俺が帰らなくても 生きて行けと
友よ山に 小さなケルンを
積んで墓にしてくれ ピッケル立てて
俺のケルン 美しいフェイスに
朝の陽が輝く 広いテラス
友に贈る 俺のハンマー
ピトンの歌う声を 聴かせてくれ
で、音楽行きます。
ダークダックス いつかある日
この歌の主人公は、友に語る。
山で遭難して、もし死んじゃったら父親にこう伝えてほしい。
「男らしく死んだと」
オイラは、命をかけて、行動する人に
なんだかメッチャ弱くって
もう、それだけで、なんていうか、ジンと来ちゃう。
わぁ、すげえなぁ。
で、こう思う。
オイラごときがさ
こんなオチャラケタ文章で、この曲の歌詞を扱っていいのかな。
そして臆す。
オイラは、命をかけるほど、真剣に生きたことはない。
断言する。
決してえばれるトコロじゃないんだけど。
そう言えば、ちょこっとだけあるかもしれない。
原付バイクを運転するとき、もしかすると命をかけてたかも…。
怖かったもんな。
今の時代
今の感覚では、
おいおい、山登りに命をかけてどうするんだよ。
単なるバカじゃん。
奥さんや、親がかわいそう。
そういう意見が出てくるのかもしれない。
そしたらさ、オイラは聞きたい。
な、おまえさ
ちょっと聞くけどさ
あのな、何も命かけなくてもいいんだけどさ
うん、それは単なる例えであって…。
でさ、命をかけるくらい、必死になったコトってあるかい。
あのさぁ、オイラは、ないんだ。
ホント、いい加減で、テキトーなヤツなんで、オイラ。
だからさ、
山に登ることであっても、命をかけたヤツ
オイラは尊敬するよ。

さぁ、話を戻す。
この歌の主人公の男らしさは
山に命をかけて散っちゃっても
それでいいんだと思える
潔さ。
そしてさ、それ以上に
命をかけて、物事にあたる必死さ。
ウイキで、この歌を調べたんだけど
どうにもわかりずらい。
登山する人たちの間で、自然発生的に歌われた歌だったのかもしれない。
現代における民謡みたいなモンなのかな。
それから
「女性自身」という雑誌が1950年代に
記事として紹介して、世に広まったらしい。
そして、ダークダックスが、取り上げて歌ったのが
多分、1970年代。
いしだあゆみと同時代なんだろうと推測する。
昭和には、すごい男らしい男がいた。
そしてさ、いしだあゆみの歌のように
女性も、男性に男らしさを望んだ。
でもって、世の中
ダークダックスもいしだあゆみも受け入れた。
「男らしい」という美意識が
美意識としてしっかり存在した時代。

前回のこのブログのまみちの記事。
すごい説得力があった。力強かった。
(よろしかったら、ひとつ前のブログを読んでくださいな)
オイラも、読んで、なるほどと思った。
ママは強い。
体を張っての命がけ。
子どもを産むってのは、すごいことだよな。
ということは…
今、世の中で一番、男らしいってのは
もしかすっと、ママだったかのか!
ん、マズイかな。
今の時代にこんなコト書いてると叱られるかな。
ヤバイ、逃げろぉ~って、いつものオイラなら
なっちゃうんだけど
今回は、男らしく、言い切って終わろうと思う。
男らしさは、命をかけるほど、真剣なこと。
ダークダックスの歌をしっかりと聞いたら、そだな、と、思った。
うん、オイラは確信した。
そして、その男らしさってのは、
男性でも女性でも、そんなの関係ない。
命がけの必死さは、どちらであっても、美しい。
なら、男らしいっていわない方がいいかもな…。
なんか、いつものオイラのパターンで
こんがらがってきたぞ。
きっと、もうすぐ収拾がつかなくなる。
ん…
男らしい=女らしい。
アレレレレ、数学になっちまった。
おおお、ますます、訳わからなくなってる。
男らしさに憧れる時代遅れの
でもって、アナログなオイラが、ディレクションしたCD
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よろしかったら、お聴きくださいな。
とは、いっても、男らしい音楽が入ってるわけじゃ
まったくないんだけどさ。
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