管理人の

なみ平です。
 

「こんにちわ」

「またね」

  はてなマーク

 

今年ももうすぐ終わり。そこで、終わりに相応しい「またね」という言葉についてひとこと。

久しぶりに現れた長男とかがん治療をしていた姉が我が家から帰る時、

久しぶりの旧友と楽しい時間を過ごし別れる時、

いつ次に逢うか分からない中で、

使う言葉は、

「じゃ、またね

3回位、「またね、またね、またね」を繰り返すときもある。
 

バージニアに住む親友Joelも、メールの最後は

「Ja maTane」だ。

なんて便利な言葉だろう!

なみ平は、子供の頃から、気の利いた言葉を言おうとすると滑ってしまう過去があり、

そのようにさせている。

別れ際、あれこれ言うよりも、静かに帰宅姿を見守るようにしている。
交差点を曲がるまで、帰宅姿を静かに見ている。
これは、口下手な父が教えてくれたこと。

がんで闘病中の母の見舞いに病室を訪問したときも「顔色いいね、良くなるよ、大丈夫だよ。」というような言葉をかけなかった。
いつも、いつも、いつも、傍にいるだけ。
そして、帰る時「じゃ、またね」

んなことを繰り返していた。
 

頑張っている母に「頑張れ!」とも言えない。
「薬を飲まないとね、風邪ひかないでね」とか本人も分かっているコトをあえていうこともしなかった。
そして、最後の瞬間も「またね」で終わった。

なんて、素晴らしい言葉だろう。

「じゃ、またね。」


母は、長崎の端島(軍艦島)で育ち、ミッションスクールで戦前をすごした。
多く友人を原爆で亡くしたけれども、アメリカ人が大好きだった。
小学生の時に母に教わった言葉は、

「Good night, See you tomorrow morning 

(グッ・ナーイ! シー、ヨォ、トゥマラウ、モオアヌング)」だった。発音もなりきっていた。

 

「おやすみ、じゃ、明日の朝ね」

 

母は、英語教師や宣教師から何回もこの言葉をかけられたのだろう。
母にかけた最後の言葉が「またね」であったことはよかった。

昨日「Auld Lang Syne (オールド ラング ザイン)」 を聴いた。
先日ブログで紹介した方からいただいたKate Taylor の歌う「Auld Lang Syne」 だ。

 


なんて素晴らしい曲だ。
1970年代のアメリカのシンガーソングライターJames Taylorと妹のKate Taylorと共作だ。
James Taylorはギターを弾き、コーラスもつけている。
彼はこのAuld Lang Syneについて、インタビューで、この歌を、愛する人、家族、友人との「Keeping touch and connection」 と説明していた。

まさに、この曲の本質「じゃまたね」だ。

 

 


蛍の光の原曲は、「Auld Lang Syne」だ。

この曲、世界中の誰もが知っている。

12月31日のカウントダウン、ライブ・コンサートのフィナーレ、ディズニーランドの閉館時に必ず使われる。そして、蛍の光は、長嶋茂雄の伝説の引退セレモニー(1974年10月14日)でのスピーチの最後にも流された。あの時、後楽園球場は、涙で包まれた。
この引退スピーチはジャイアンツ・ファンの宝だ。「私は、今日引退しますが、巨人軍は永遠に不滅です。私は引退しますが、、、、」 そして、球場は、涙と「蛍の光」につつまれた。

 

 


なみ平は、「蛍の光」の2番が好きだ。

その意味は、
『故郷に残る者も 去り行く者も今日限りなので 互いに思い合う無数の想いをたった一言「幸あれ(どうかご無事で)」と歌うのだ』と解説されている。

まさに「じゃ、またね」の歌である。
今日の元気が出る言葉は「じゃ、またね」
でした。

じゃ、またね
ザイツェン(再見 再见)

See you, I’ll be always with you. 
Matane ! Matane! Matane! 

この言葉は、時に勇気と元気をくれる。いつも、自身も言われたい言葉だ。

「またね!」


 

 

英語版 「がんと生きる言葉の処方箋」