たとえば、心は自分のもので、体は「感覚器」だとすると
(実際私はそう思っているのですが)
借り物の体を通して、
人は「生きている」感覚を
ゲームの主人公を操るように楽しんでいるんだと思います
心が自由だとすると、体は制約です。
重たい体があるために、
移動するには時間もエネルギーもかかるし
飛ぶことだってできないし、
熱い寒いにも限界がある
でも、制約があるからこその
「生きている」感覚であって
冬寒いから春の暖かさが嬉しいし、
暑い日に泳ぐ海は気持ちいいし、
のどが渇くから水が美味しいのです
生きているから、
知り合えた人と話たり触れ合ったり
限りある時間を共有できるから楽しいのです
母が死んだとき、
当然体が焼かれましたが
焼き場の扉を開けたときとっても熱かったんですね
熱風が来て、
その中に入れられるなんて止めて!
と一瞬思いました。
だけど、
死んじゃったから熱さなんて感じないし
そもそも遺体はもう母ではないのか
そんなようなことがぐるぐると頭の中を巡り
体は「この世」を感じ取るための感覚器なのかなぁと思いはじめました
続く
(実際私はそう思っているのですが)
借り物の体を通して、
人は「生きている」感覚を
ゲームの主人公を操るように楽しんでいるんだと思います
心が自由だとすると、体は制約です。
重たい体があるために、
移動するには時間もエネルギーもかかるし
飛ぶことだってできないし、
熱い寒いにも限界がある
でも、制約があるからこその
「生きている」感覚であって
冬寒いから春の暖かさが嬉しいし、
暑い日に泳ぐ海は気持ちいいし、
のどが渇くから水が美味しいのです
生きているから、
知り合えた人と話たり触れ合ったり
限りある時間を共有できるから楽しいのです
母が死んだとき、
当然体が焼かれましたが
焼き場の扉を開けたときとっても熱かったんですね
熱風が来て、
その中に入れられるなんて止めて!
と一瞬思いました。
だけど、
死んじゃったから熱さなんて感じないし
そもそも遺体はもう母ではないのか
そんなようなことがぐるぐると頭の中を巡り
体は「この世」を感じ取るための感覚器なのかなぁと思いはじめました
続く