過去の記事に何回か登場した、母の兄。
私からみての伯父、酒豪のおじさん。
おじさんの奥さんは私が赤ん坊の頃亡くなっています。
ですから私はおじさんの奥さんを知りません。
写真がとても優しい笑顔でキレイな人で、若くして亡くなったのが分かります。
お墓も近くにあり、物心ついた時には「お彼岸のお墓参り」は、おじさんの奥さんのお墓と決まっていて、
お墓参りにはどんな事をするのかとか、自然と学びました。
(ちなみにお盆は田舎に帰りおじいちゃんのお墓参りでした。)
小さい私にとってお墓参りとは、私たち家族(父母私)とおじさんが集まり、
お寺に行って山を登ってお墓に水や花や供物を備え拝んだあとに、
どちらかの自宅で昼間から飲む、という会でした。
おじさんと父が揃うと大宴会で、必ずぶっ倒れるまで(;^_^A飲みます。
ぶっ倒れるのは父だけでおじさんは絶対つぶれません。
母はというと、お酒は1滴も飲めないのでずっと台所にいて料理を作っていました。
座って話に加わる頃には父も伯父さんも「出来上がって」いて、
大概私が酔っ払いにからまれて泣きべそをかいているのでした。
父は当然、「♪月が~出たで~た~♪」です。
そんな賑やかな休日が、私達のお彼岸でした。
そして昨年母が他界、10数年の間ほとんど行ってなかったお墓参りに久々に行きました。
多分家族がバラバラだったからでしょう。
母の病気もあり、どうしても行きづらかったのもあります。
久々に行きましたがちゃんと憶えてました。
お墓までの急な斜面や線香の匂い、通り道にある桜の木。
とても懐かしい場所です。
高台にあるお墓の場所もそこから見える風景もさほど変化はありませんが
時間の経過で変わったのは墓参りをする私達生きている者のメンツです。
母は死に、大人になった私と老いた父、それに主人です。
おじさんは前日に済ませた、との事で一緒には行きませんでした。。。
知らないうちに時間の経過がものすごく経っていて、
なんだか寂しい気がしてしまいます。
私がお墓参りに行かない時期も、おじさんはずっと続けていて、毎年の事ですから。
別に今回特別でも何でもないです。一緒に行っても行かなくても変わりありません。
ふと思います。
今の日常、ただの毎日の生活が、未来の自分にとってはきっと涙が出るほど幸せな懐かしい記憶になっているのでしょう。