有名人などの告別式では、弔辞を読んだりするのを見たことがあります。
先日は漫画家赤塚ふじおの告別式でタモリが白紙の弔辞を読み上げ、話題となりました。
以前祖母の告別式で、祖母の弟が弔辞を読んだのを覚えています。
祖母は享年95歳でしたので、祖母の弟も大分お爺さんでした。
東北なまりもあり、もごもごしていて何を言っているのかさっぱりわかりませんでした。
今回、母の告別式では弔辞は誰が読むのかと思い聞いてみたら、
父も親戚も皆「そういうのは有名人だけだから普通の人はしないんだよ」と言い、
結局読みませんでした。
疑問に思ったのですが、弔辞とは誰に読み聞かせるものでしょうか。
私は、お別れをする相手に感謝の思いなどを伝えるためにあるものだと思っていました。
死んでしまっている相手には耳はありませんが、
言葉にすれば心で思っているよりも強く伝わるのではないかと思います。
弔辞はできれば私が読みたかった。
でも自分よりも母への思いが強い人もいるのではないかと思い遠慮したつもりでしたが、それでよかったのか。。。
また、悲しみの強い人ほど思いを声に出し、吐き出さないといけないのではないかと思いますので、弔辞を含め、葬式というものはもしかしたら死者のためだけのものでなく、生きているもののためにもあるのではないでしょうか。
お経も死者に聞かせるだけでなく、生きているものもしっかり聞き理解することで心の安らぎを得られるのではないでしょうか。アジアのどこかの国では、死者をはさんで対面にお坊さんと参列者が向かい合い、お経を読んでもらいます。
お坊さんは、死者をはさんで生きているものに語りかけています。