脊髄小脳変性症(せきずいしょうのうへんせいしょう)は不治の病です。
母が患いました。発症から現在までを思い出しながら書いています。
発症したのは10年くらい前です。
ゆっくりと身体の自由が利かなくなるむごい病気です。
でも前向きに生きていきたいです。
老人保健施設では、色々なレクリエーションもありましたが
テープに声を録音してメッセージを送る、というのもありました。
それをやってもらった時の母は、車椅子で、頭を支える力もなく首が前にたれてしまい、
肺活量も少なく、なかなか声を出すというのがしんどい状態でした。
身体自体も支えられないので前にだんだん倒れていってしまうのが悩みでした。
車椅子の座り方をよりかかるような姿勢にしてみたり、
包帯みたいな布で車椅子と身体を結んで倒れこまないように支えたり、
いろいろ工夫してもらっていました。
でもがんばって家族や兄弟宛に喋ってくれました。
時々、喋るのが苦しくなったり、自分の置かれている状況や家族を想って涙声になって
途切れてしまうのですが、そのたびに横にいるであろうリハビリの先生(?)が
「がんばれがんばれ」
とヒソヒソ声で言っているのがしっかり録音されていました。
私はテープのかなりを聞いたのですが、いたたまれなくなって全部きけませんでした。
辛くて辛くて泣きながら途中まで聞きました。
感動の涙ではないんですよ。とても辛いんです。
それは母も同じだったと思います。
遠くにいる兄弟宛、近くにいる伯父宛、家族宛の3巻でしたので、
それぞれ送る事にしました。
近くに住んでいる伯父には手渡ししようとしましたが、
なんと拒否されてしまいました。
「強制的に言わされているヤツだろ?そんなもんオレは聞きたくないね。
隣でガンバレガンバレって言ってやってるんだろ?」
「でもお母さんがせっかく(声を)入れたんだし。。。」
「いらないよ。聞きたくないよ。」
いつも伯父には驚かされます。
妹である母をとてもかわいがっった伯父がこう言ったのです。
当時は薄情だなぁともちらっと思ったのですが、そうではないようでした。
(ごめんね、おじさん。)