12月の末から1月の初めまで翻訳のバイトで忙しかったです。そして、アパートを見つけて、引越ししました。今日はインターネットも繋がって、もうだいたい全部終わったと思います。

先週の週末に村上春樹の「ノルウェイの森」を買いました。一週間で250ページ以上を読んでしまいました。もうそろそろ(上)が終わりそうだなと思います。その作家の書き方が結構好きです。どうしてかというと、難しい言葉が少ししか使わなくて、日本語のちゃんとしたきれいな文章も多くて、描くところと会話のバランスも良くて、人物も面白いと思うのです。その本の次は、どうしようかなと、疑問になってしまいますよ。同じ作家にするか他の作家にするかについてはですね。

Vincentのブログ


「最近の発見」

日本にいた時に発見したのは、QRCODE です。ち ょっと気になったので、調べました。日本の自動車の会社が作ったそうです。 データのタイプが三つあります。それは、①文章、②インターネット上のリンク、③連絡先そうです。

日本では、結構流行っていますが、最近フランスでは使えるようになりました。 パリではRATPは使うそうです。地下鉄にある宣伝も QRCODEが入ってきました。

Iphoneだけでなくいくつかの携帯の機種があるプログラムをインストールしたらその機能が入れるようです。

まぁたいしたことではないと思われますが、結構便利です。たとえば、レポー トなどのなかで本の参照に関しては、インタネット上の リンクがあったら、使えます。それ以外は、名詞には結 構便利です。名前、電話番号とメールアドレスをQRC ODEに入れるので、相手が名詞をスキャンしたら、直 ぐ自分の携帯にその情報が登録できます。

「最近の大変になったもの」

日本在フランス大使館のために松下政経塾に於ける半年 のインターンシップに関するレポートを昨日~今朝の3時まで書きました。終わりました!今日は、仕事が結構大変になってしま うと思っていましたが、結局普通でした。よかったです 。目を瞑らないとね。

「最近のよかったこと」

大体一週間前にフランスに住んでいる日本の方からの応援のメッセージが届きました。ブログで私の書いていることが通じるかどうかよくわからなくて、内容もつまらないか云々と疑問したところで、嬉しかったです。

これから面白いブログが書けるように頑張ろうと。

最近、考える。反省する。

 

松下幸之助の「道をひらく」を読んで考える。文章によって考えが違う。最近のそれぞれについて書こうかな。

 

「年の始めがおめでたければ、朝起きたときもも同じこと。毎朝、心があらたまれば、毎日がお正月。あらたまった心には、すべてのものが新しく、すべてのものがおめでたい。きのうはきのう、きょうはきょう。きのうの苦労をきょうまで持ち越すことはない。」

→ 最近、そういう風に思えるようにします。昨日どんな辛い目に遭っても次の日は、よ自分にもよい日になれるように、まわりにもよい日になれるように頑張ります。自分からまわりも成り立つと思うのです。

 

「自分の周囲にある物、いる人、これすべて、わが心の反映である。わがの心の鏡である。すべての物がわが心を映し、すべての人が、わが心につながっているのである。」

→ 最近、まわりがネガティブな反応すると感じました。どうしてそういう反応するのが悩んでいました。以上の文章を読んだ上だけではなくともやはり自分も気づいていたが認められなかったと思います。即ち私がネガティブな言い方や考え方をしたりしたからこそまわりも同じな考え方などをしてしまったことに決まっていると思います。そういう時には、まわりの人にどんなに謝りたくても傷をつけた人の傷を言葉だけで簡単に治せないので、ただ黙ってきました。いいであるかどうか自分もわりません。「言わぬが花」と言います。それは、美徳。どうしてかというと、解釈結構ありそうですが、私はこう思います。たくさん言わない方がいいということ。よく考えた上で話した方がいい。相手も考えてポジティブなことをいうべきだと思うのです。今は、自分がたくさん喋ることより、相手にたくさんの思いを伝えることより、すこしだけでよし。素直だけよし。もっと素直になりたい。もっと謙虚さが持ちたい。相手をもっと大事にしたい。まだよくできないと思いますが、頑張ります。

 

「あいさつにもいろいろとあろうが、要は、私たちはもっと、あいさつというものを大切にしたい。明るく朗らかに、あいさつをかわしあうことを心がけたいものである」

→ その文章を読むと、あるお爺さんが思い出されます。松下政経塾にいた時に、朝は、掃除をしました。ほぼ毎朝そのお爺さんに出会うと「お早う~」と80歳くらいの老いた声で挨拶してくれました。お爺さんは、重い歴史を背負っていた感じがしました。そのお爺さんの声を聞くと歴史を感じました。心が揺れました。理由はわかりませんが、お爺さんの挨拶への努力とその笑顔でうれしい涙が出るほど心が揺れ、元気一杯になりました。私は、そのお爺さんには外国人で、戦争の時に敵と見のされたかもしれないですが、応援してくれて、ある意味すこしでも認めてくれて、ありがたいです。謙虚さぶかいのお爺さんに憧れました。すごく尊敬します。お話したかったですが、挨拶しかかわさなかったので、少し後悔します。また機会があったらそのお爺さんの人生に関する話が聞きたいです。

挨拶をかわすと、素直ですれば自分も相手もやはり元気になります。それは、日本で覚えたことの一つです。フランスでも、毎日できれば、挨拶を笑顔で素直で交わそうとします。

 

「…多く受けたいと思えば多く与えればよいのであって、充分に与えもしないで、多く受けたいと思うのが、虫のいい考えというもので、こんな人ばかりだと、世の中は繁栄しない。与えるとというのは、わかるやすくいえば、サービスするということである。自分のもっているもので、世の中の人びとに精いっぱいのサービスをすることである。頭のいい人は頭で、力のある人は力で、腕のいい人は腕で、優しい人は優しさで、そして学者は学問で、商人は商売で…」

→ まわりにヴァンサンは自分の長所がわからないと言われました。そうであるかもしれません。私は、自分の欠点しか見えないのです。今まで上達、上を目指していましたが、あまりできなかったと感じます。どうしてかというと、たぶん自分のことが認められなかっただけです。自分がそいうかぎりがあります。そういうことは人です。自分がちゃんとわからない(認められない)かぎり、成長できないなと思ってきました。

私は、まわりに何を上げられるの?とよく自問します。私は、優しさ、理解(最近うまくできないけど)、努力、かな?

最近の私は、説教してばかりいましたが、自分も説教しなければなりませんな。忘我利他は、自分を忘れて、相手を立てるということです。それを生かし、生活したいと思っています。サービスの心を持ちたいです。自分のできることを提供したいです。


思いはこのままで、悪い日本語でもうしわけありません!