先日、某SNSを見ていたところ「キハ47 8135が小倉工場で解体されている」という投稿を目撃しました。
この車両の名前を聞いたときにスッと過去の思い出が蘇ってきました。
キハ47 8135
キハ47含むキハ40系は日本全国に投入され、現在では海外でも活躍の幅を広げる車両です。
そんなキハ40系の中でも特に直方市民の自分にとって関わりが深かったのが筑豊本線の若松線区間で活躍する車両でした。
そんな若松線で活躍していた車両の中に居たのがキハ47 8135です。
さてこの車両ですが、「キハ47 135」として昭和55年5月に富士重工で製造され早岐機関区に新製配置。
その後は昭和59年に長崎機関区へと転属。
ここで民営化を迎えながらも主に西九州を拠点に活躍していた車両でした。
その後、平成7年に直方気動車区へと転属。
西九州を離れて筑豊エリアへと活動拠点を移すこととなります。
そして平成20年にエンジンを換装しキハ47 8135と名前を改めることとなりました。
大体この辺りから私自身の見慣れた姿になってきます()
物心がついた頃には既に若松線の車両としてのイメージが付いており、よくその姿を拝んだものです。
キハ47 8135ですが、当時の私は「手の加えられた個性ある車両」だと思っていました。
まずは大型化されているタイフォン。
屋根上にはバスクーラーやダクトが追加されており賑やかな車両だと思いきや、存在感のある水タンクは撤去。
そして埋められたトイレ窓。
先述の通りエンジンも換装されており、原型に近い車両も居た一方で比較的個性派な車両であったように思います。
当時の九州のキハ40系は、ほぼ1年単位(?)で転属を行い入れ替わりが激しかったイメージがありますが、このキハ47 8135を含む若松線の車両たちは安泰な様子だったように思います。
私の中ではキハ47 73.122.8070.8120.8135.1052の6両が若松線の車両で運用されているイメージで、多数のキハ31と編成を組んだり、時にはキハ40と組んだりして直方と若松の間を走っていたイメージがあります。
その中でもこのキハ47 8135は特に上り方で運用されていたように思います。
さて、そんな若松線にも転機が訪れますね・・・
平成28年10月より、世界初の本格的な交流方式の蓄電池電車こと「BEC819系」が若松線区間に導入されることとなりました。
走行区全線が世界の環境首都を目指している北九州市であったことも相まり、平成29年3月までに若松線の全列車がこの車両へと置き換えられることとなりました。
当時すごくわくわくした一方で、愉快な気動車たちが軒並み転属、廃車となりもの悲しさを覚えたことを覚えています。
今回の主役ことキハ47 8135は直方から転属しなかったものの活動拠点を若松線から日田彦山線へと変えました。
因みにこの時代、あり得ないほど遭遇率が悪かった為この1枚しかありませんでした((((((
日田彦山線メインとしての活躍は短期間で、翌年の平成30年には直方から熊本車両センターへと転属になりました。
20年以上の時を過ごした筑豊エリアとはここでお別れとなります。
時代も令和へと変わろうとする中、新たに熊本エリアでの活躍が始まりました。
久々にこの車両を見た時に懐かしさや安心感を覚えましたが、行先はサボを使用したり、下り方となって幌が追加された姿を見た時にすっかりと熊本の車両になったことを実感しました。
しかし懐かしさは消えず、撮影しまくっていましたね~
本チクを頑張って消し、熊クマになった様子も・・・
新天地でも頑張っているなぁという印象を受けながらも、筑豊地区を走り回っていた頃を思い浮かべて撮影しておりました←
こうして熊本エリアで活動を続けていくものと思いましたが、ここでまた転機が訪れます。
このキハ47 8135の故郷である西九州では新幹線が開業することとなったのですが、これに伴い長崎本線の肥前鹿島~長崎の架線が撤去される流れとなりました。
そしてその関係で817系をはじめとする車両が使用できなくなるため、九州各地の気動車にも転機が訪れることとなったのです・・・
こうしてキハ47 8135はなんと令和4年に佐世保車両センターへと転属することとなりました。
また画像からもよくわかる通り、塗装も新たに青色のものに変更されており大きくイメージが変わりました。
更に車内は運行区間のホームに合わせステップの嵩上げを行ったり、トイレの洋式化といった改造を行いました。
こうして車齢が40年を過ぎる中、大きく姿を変えて再び西九州エリアに里帰りを果たすというなかなかすごい光景を目の当たりにすることになりました。
個人的に長崎本線を訪問する機会にあまり恵まれませんでしたが、この時大きく姿を変えて活き活きと故郷で活躍するキハ47 8135に巡り合えたことは何かの運命だったのか?と少し思っていたりもします。
そんなキハ47 8135を含む佐世保車両センターのキハ47ですが、遂に後継のYC1系が追加導入されることとなり令和7年7月1日を持ち引退となりました。
結果的に長崎本線で運転されている姿はこの1度しか見ることが出来なかったものの、とても印象的だったことには間違いありません。
その後、門司へと回送され関門トンネルの横で留置されることとなりました。
有難いことに沿線の公園から一番見やすい位置にこの車両は鎮座していました。
令和8年を迎えてすぐの1月7日。
ほぼ9年ぶりに北九州市内でこの車両と再開できました。
どれだけ塗装が変更されても、各箇所から錆び汁が垂れてきていても、この車両に対して懐かしいという思いが込み上げるのみでした。
結果的にこの車両とはこの時が最後の対面となり、3か月後の4月に小倉工場へと廃車回送されていきました。
若松線で活躍していた頃から何かと遭遇するちょっと個性的な車両でしたが、46年目を迎える直前でお別れとなりました。
改めて45年間お疲れ様でした。と言ってあげたいです。
しかし九州のキハ40系は事故廃車を除き1両も廃車が出ていなかった時代や、各所の転属を行って原型エンジンの車両を廃車にしていた時代の頃のイメージが未だに強いので、エンジンが換装された車両からも廃車が出ている事に月日の経過を感じる限りです。
ではでは~












































