こんにちは
今でこそVFやVFRを毎週のように乗りまくっていますが、それ以前は違う理由でバイクにはまっていました。
それは不動バイクを動くようにすること。動かないエンジンを色々いじって
動いた時の感動と達成感。これが楽しかったです。
(例えば以前動いていたエンジンが10年放置したら動かなくなったというものは100%直す自信があります。→自信の裏付けはおいおい説明します。)
その次に今度はレストア道にはまりました。
しかし元通りきれいに再生するだけの作業で、アイデアや個性も不要な作業だったので5、6台再生すると飽きて、それから世界に1台しかないバイク造り
カスタム道に目覚め、VFに出会うまで、ずっとはまってました。
今までに50ccから750ccまで30台以上のバイクをカスタムしまくりました。
まずは、まだ現在も手元に置いてあるマッハ750SSのカスタム記録から・・・
実はこの車両、名古屋の某ショップからオークションを通し手に入れたもの
10数年前の名古屋を襲った大雨でショップのバイクが全部水没して
店じまいセールで安く売りに出ていた1台で**万円という格安で入手
タンクや外装部品がきれいでなによりも新品マフラーが付いていた。
マフラーは水没しててもすぐ直るしマフラーだけでも当時20万した。
画像は全て直した後なのでピカピカの状態
入手した当初はぼろぼろでエンジンばらし、フレームばらし、全て手をいれた。
webから拾ったノーマル状態の750ss↓
制作風景
フレームを全塗装し(板金屋に弟子入りしウレタン塗料で)
エンジン周りの仕上げはこの頃ブラストガンを手に入れ海岸から砂を拾って
庭で吹いていた。(現在はちゃんとブラストブースを所有している)
バックステップのステーは10mm厚の鉄板を切り出しフレームに直接溶接。
溶接もバッテリーを3連装しブースターケーブルを改造してアーク溶接した。
バックステップ自体どんな車種から流用したか忘れた。
リヤスイングアームとリヤホイールはレプリカのZXR400のもの。
オークションで入手。
リヤサスはヤマハの何かだったと思う。(在庫部品から適当にチョイス)
後々このリヤサスはゼファー400か何かにした。カワサキにはカワサキでしょ
1眼ライトから最終的には2眼にした。フェンダーはビート製
フロントホイールはZXR400 フロントフォークおよび三又はゼファー400
ホイールの金色もちゃんとガンでウレタン塗装した。
この角度からの形が一番好き。
シリンダーを開けた時、クランクの中が金魚鉢状態だったのを記憶している。
クランクケース周りはコンパウンドで磨いた。当時は鏡面仕上げ用の研磨剤が入手できずサンダーと手でしこしこ磨いた。
めちゃめちゃきれいなメッキのマフラーチャンバーとビート製のフェンダー
今は入手不可能と聞く
バックステップ用の超長いリンケージ。バイク屋を周り、一番長いジャズ用を発見し流用
リヤのハブを8mmほどフライスで削り、チェーンラインを確保。
とっ、まー完成当時に愛知県と岐阜県の県境まで友人のFJ1100とツーした。
気違いマッハ、じゃじゃ馬マッハと言われたがFJには全く歯が立たなかった
所詮750の70馬力そこそこと1100ccの125馬力では相手にならない。
伝説だけが肥大し、実際にはただの750だね。って感じ。
100kmで手放しでもまっすぐ走るし自分のカスタム技術に自信がもてた。
そうそうピンゲルのガソリンコックをつけていたので予備タンがなく、
ツー途中でガス欠。
タンクの中は綺麗にカラッカラ リッター10kしか走らんし、それ以来
倉庫の奥深く保管してある。2年ほど前にみたらタイヤがつぶれていた。
カスタム・再生に費やした金額は30万円はかかっていない。
その代わり工数がゆうに100時間は超えており、商売だったら50万円
工賃が発生する。
当時は家の軒先に屋根と壁を貼り狭いところでいじっていた。
庭にはゴミのようなボロイバイクがあふれ、夜中も作業していて女房に良く叱られた。
だが、こうした趣味がオークションを通して小遣い稼ぎが出来るようになり、
月々の小遣いが不要になったことで、女房もこの趣味に理解をし応援してくれるようになる。5年間位小遣いは一銭ももらわなかった気がする。
このカスタム関係のネタは30台分以上ありますが・・・聞きたいですか?
世界に1台しかないバイクを造る中san工房として本気で商売しようと考えた時期もありました。仕入ルートは愛知県と静岡県の解体屋3店の親父と仲良くなり確保。出荷ルートも運送屋と1割引きで契約・・・・
何故やめたかって・・・・その理由はまた今度・・