去年までは妻と自分の投票券が届いていた。今年は妻の分は届かず自分のだけだった。

妻は最初、阪大病院に通っていた。通院は毎回送り迎えをしていたが一度だけどうしても都合がつかず行きだけ電車バスで行って貰った。今、自分は石橋駅近くの歯医者に通っている。車をコインパーキングに停め歩いて向かっている途中に今まで気にも留めてなかったバス停の看板に阪大病院前行きと書いてあるのを見つけてアッーーー!となった。妻が電車バスで阪大病院に行った日、家から遠いこのバス停で妻は待って居たんだ!駅からバス停まで歩いている妻が見えた様な気がしてどうしても涙が止まらず嘘をついて歯科治療をキャンセルした。

闘病生活4年半、食べ物の力を信じている自分は努めて妻が好きな旬の物を毎日の様に買っていた。今日の帰り美味しそうなトウモロコシを見つけた。反射的に買い物カゴに入れる。これから桃やマスカットや妻が好きな物が色々出てくる。その度に泣き出しそうになる。これからも好きだった旬の食材を見るたびに。

最愛の妻が旅立ってからもうすぐ5ヶ月、LINEやメールの時代に今日初めて妻の携帯が鳴った。知らない番号だったので出ずに後で調べると太陽光パネルの勧誘業者の電話番号だと分かった。そんなことより忘れていた妻の携帯の着信メロディーを久しぶりに聞いた。妻が居る頃は気にもしなかったが好きだったトイストーリーに使われていた曲だった。そして涙が止まらない。

家に帰ると愛猫が出迎えてくれる。あの日以来、妻が寂しい想いをしない様に仏壇のあるリビングはタイマーで電気が付くようにした。インターフォンは外出先でもスマホで応答出来る様にもした。誰も受け取る人が居ないから。少しの手間で便利に出来る機能をなぜ妻が居る時にしてあげられなかったのか。帰宅してすぐ妻の仏壇と愛猫のご飯の支度をする。その間に妻に向かって今日あった出来事を話す。そしてこの時に現実を突きつけられ未だに泣いてしまう。

5月3日は百か日法要。正直に言うと周りに迷惑を掛けずに妻を追える方法が有ればと考える毎日。でも百か日法要は再審の日だから抜かりなく営まないと。

未だに毎日泣いてしまうのは何故?悲しさの根源は何?若くして亡くなった事からくる不憫さ?決しって老夫婦の様には長くは無いけと連れ添った妻を亡くした喪失感?それとも伝えられなかった、伝え切れなかった事からくる懺悔や後悔の気持ちから?単純に亡くなったと言う現実から?

今日、海賊と呼ばれた男と言う映画を見た。冒頭から60歳になった主人公に妻が居ない雰囲気が伝わって観るのを辞めかけた。だって妻が居ないと言う事は大抵、亡くしているからだ。あれ以来、そう言う映画や動画は避けてしまう。でも家事をしながら付けっぱなしにしていたせいで映画の中の主人公は妻を亡くしたのでは無くなく離婚しただけだった。あー良かった!安心した。

いつかと言うと、自宅に帰って「ただいま」と今日あった事を大まかに妻に話している時が未だにダメだ。幾ら我慢しても泣いてしまう。返事が無いと言う現実を突きつけられるから。

我が家は2階がリビングで寝室は1階。妻は大好きな自宅リビングで旅立てた。なので仏壇も遺骨もリビング。お墓は有るけど遺骨は四十九日が過ぎた今でも納骨していない。位牌が有る宗派だがそこに妻が宿ると言う考えがしっくりこない。妻に話し掛ける時も遺骨と位牌の両方に話し掛けるがやはり遺骨の方がしっくりくる。あれ以来、妻が居るリビングのソファーで寝る事が多い。たまにベットでちゃんと寝たい時は、下の寝室に位牌と遺骨を抱いて一緒に降りる。