今月の25日で妻が旅立っからまる2年が経つ。2年目に何故か2回忌ではなく3回忌を行う様だ。未だに色々な幸せだった頃の記憶を思い出し毎日泣いてしまっている。外に出るとそんな幸せだった記憶があちらこちらに散りばめられていてすっかり出不精になった。記憶が蘇る度にどうしようも出来ない位に悲しくなるし本当に良い人と巡り会えて結婚して貰えたんだなぁと実感しまた涙する。

リビングが好きだった妻、家の中にある妻が生前に使って居たものや好きだった物が溢れてる。その度に涙し心が締め付けられる。でも絶対に捨てたくは無い。お盆や何かで妻が帰ってきた時にあるべき所にあるべき物が変わらずある様にしてあげて居たい。

震災でひとが亡くなって居る、又は亡くなったであろう動画や映像なんて見たく無い。ひどい理由だけど病だったが自分も妻も亡くなったと言う事実を突き詰められるから。

あれからひな祭りの準備をするのも2回目だ。日にち薬、悲しみも癒える。そんなの全然違う悲しさは消えない。一緒に過ごしたかった時間、場所、会話なぜやっていなかったのか。日常生活の中でも常に妻にもとか妻と一緒にとかが頭をよぎる。そしてそれが叶わぬことを突きつけられ自分も少しすつ死んでいく。妻は今一番、何をして欲しいかどんな方法でも良いから教えて欲しい

明日は妻の誕生日。ケーキの事とか考えていたらTVでランキング形式の歌番組をやっている。こう言う番組がある度に一緒に観て妻は横で歌っていた。一緒にやりたかった事が溢れ出して止まらない。

初めて行く病院には予行演習で事前に公共交通機関で予行演習を行なっていた妻、方向音痴だった妻。7日の初盆の日の為に事前にきっと帰ってくる予行演習するだろうから迷わない様にベランダで長時間消えない線香を焚いて自宅の位置をアピールしている。毎日のお参りでも迷わない様にお願いしている。当日はおガラも炊く。万全の体制で待ってるから迷わず帰ってくるんだよ。と言いつつまだ自宅に居てくれている気がしてたりもする。

妻の事を考え寝室でボーッと天井や壁を見つめていた。一緒に1から作った自宅が大好きだった妻。いつかこの天井も壁も見つめられなくなる事を思い目に焼き付けて居たのだろうか。また涙と鼻水で呼吸が出来なくなる。

夢の中で良いから会いたいと妻にお願いした日の夜、本当に夢の中で妻に会えて抱きしめる事が出来た。でも妻は知っているより身体が硬い感覚がした。会ってくれたのは嬉しいけどそんな所まで旅立って直ぐを再現してくれなくてもいいよ。自分自身の思う姿で会いに来てくれたらいいよ。

気を紛らわせる為に自宅に帰ると朝起きるまでテレビは付けたままにしている。例の銃撃の事件のニュースが自然に目に耳に入ってくる。救命処置にあたった医師の会見も。なぜそこまで?と思う様な詳細な質問が続く。公人、ましてや元総理と言う責務を担った故人の立場や義務に着いては自分は全く分かっていない。でも、、、そこまで聞いてまで知るべき、知らすべき内容なのかな?知りたい、知らせたい、と言う気持ちや信念や仕事だからと言うのは分かるけど、そんな説明を受けたであろう近親者しか知らない様な内容を再びテレビや記事で目にする遺族や本当近い存在の方々の事を思うと悲しみを増やしてしまうだけなのでは?と勝手に思い辛くなる。