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この一冊は一九七七年に福岡の葦(あし)書房から刊行されたきり、長らく絶版になっていた幻の名著の復刊である。思想史的に孤立し、敬遠されてきた神風連が、初めて理解可能になった思いがする。
 神風連の乱は、明治九年十月二十四日の夜、神官太田黒伴雄(ともお)に率いられた熊本敬神党の同志百七十余人が決起し、「攘夷(じょうい)」と「神政」を呼号して熊本鎮台を襲撃した武装反乱である。
 一党は西洋文明の象徴である銃砲を使用せず、刀剣と焼玉だけで襲撃を実行した。司令長官種田政明・熊本県令安岡良亮を殺し、鎮台兵約三百名を殺傷したが、すぐに鎮圧され、戦死二十八人・自刃八十七人・斬罪三人を出して、《組織的な自爆》といえるような悲壮な結末を迎える。
 神風連の乱には、この時期に相前後して起きた佐賀の乱・秋月の乱・萩の乱と同様の士族反乱としては片づけきれぬ特異な要素がある。深い宗教性である。明治の徳富蘇峰さえこの党派を「保守的清教徒」「神秘的秘密結社」と評している。もともと「神風連」という呼び名も、世間がカミカゼだといって嘲笑(ちょうしょう)した戯称だったそうだ。
 著者の立場は神風連と士族反乱との不連続性を強調し、思想的な核心を「信仰としての攘夷」に求めるところにある。「攘夷という政治的要求がじつは神学的原則の系にすぎぬ」とは名言だ。
 神風連を動かした信念が国学者林桜園(はやしおうえん)の神学にあるという指摘なら以前からなされていた。著者の独創は「神事は本、人事は末」という教理を本居宣長の国学が産み落とした鬼子ととらえ、徹底した反政治的ラディカリズムを見出した点に発揮される。
 桜園直系 の太田黒伴雄は決起の可否すら「宇気比(うけひ)」という占いによる神意で定めた。肥後藩士族の軽輩層には時代の不如意 が重くのしかかる。きっかけになった廃刀令 は、攘夷を捨てた明治政府 のもとで生きる実存的な不快感の臨界点 だったにすぎない。
 初版から三十年。神風連の歴史 は、いち早くテロリズムと原理主義の親愛を予示していたかのように読める。