昨日は一日ぐずついた天気だったので、ちょっと近所のコンビニに行って印刷作業はしたものの、それ以外は家でこんな作業をしていました。
雑誌記事の製本作業
いずれも、元帝国海軍技術少佐であった福井静夫氏(帝国海軍艦艇の語り部・福井静夫元海軍技術少佐)が雑誌「船の科学」の昭和27年2月号から8月号にかけて連載した「軍艦20年史の回顧」と、同氏が雑誌「船舶」昭和26年8月号から27年4月号に連載した「応召した日の丸船隊」を冊子化する作業です。
冊子の中身
以前ブログに書いたことがありますが、雑誌「船の科学」と「船舶」は、HP「日本船舶海洋工学会」の「デジタル造船資料館」で全冊が閲覧可能になっています。
今回は、PDFをダウンロードしたうえで当該の記事部分だけを抜粋し、ひとつのPDFにまとめた後コンビニで両面印刷します。
表紙と裏表紙はwordで作成し自宅のインクジェットプリンターで厚紙に印刷したうえで、大型のホチキスと製本テープで綴じて冊子の完成です。
以前(相当前ですが)にもブログで冊子化したことを書いたこともありますが(帝国海軍艦艇の基礎資料となる書物の紹介・その1)、「昭和な人間」なんで、雑誌などの文章は画面より紙の方が読みやすいんですよね。
またB5版の雑誌をA4版に拡大印刷したこともあり、さらに老眼に優しくなりました(笑)。
本日は、台風が去っていったこと、車も車検から帰ってきたこと、朝方まで降っていた雨もやんだことから、久しぶりに車で近場にお出かけ。
大阪府内で最大の帝国海軍遺構ではないかと思うものを見に行き、近くに新来島サノヤス造船の造船所があったので、対岸から確認。
新来島サノヤス造船・大阪製造所の船渠内に見える巡視船「きそ(PL-53)」
帰宅してから大阪港EDIで確認すると巡視船「きそ」のようですね。
このあと南港・シーサイドコスモに車を停めてATCへ。
令和8年6月28日・13時15分のさんふらわあターミナル
帰途につく頃になって晴れてきました。
引き返そうかとも思いましたが、雲量は多くしばらくしたらまた曇りそうだったので、そのまま帰宅しました。
前置きがすごく長くなってしまいましたが、久しぶりに民間船舶の話です。
今回は、83年前の昭和18年6月に喪失した船を取り上げます。
貨物船「神龍丸」は、「神龍丸」型貨物船の第1番船として大阪鐵工所因島工場で昭和11年9月に起工され、翌12年3月に進水、同年5月に竣工しており、内外汽船により運航されます。
なお、昭和17年までに同型船14隻という大量建造がなされ、一大勢力となっています。
【要目】
総トン数:4,935トン、積貨重量トン数:7,120トン
垂線間長:111.5m、幅:16.5m、深さ:8.9m
主機:三連成レシプロ機関×1、主缶:円缶×3
出力:(最大)3,325馬力、速力:(最大)16.9ノット
※引用:「本邦建造船要目表(1868-1945)」日本船用機関学会、
船用機関調査研究委員会、1976年5月、海文堂、P.148-149
内外汽船・貨物船「神龍丸」
(引用:「日立造船百年史」1985年3月、日立造船、P.178)
「神龍丸」は、竣工直後に第二次上海事変に対応すべく、帝国陸軍に徴用され上海へ派遣されていますが、昭和12年内には解傭されています。
しばらく内外汽船で運用されていましたが、昭和15年12月には帝国海軍に徴傭され一般徴傭船(雑用船)として運用され、さらに昭和16年11月には特設運送船(雑用船)として特設艦船籍に編入され、横須賀鎮守府の主管となります。
昭和16年11月末には佐世保を出航しポラオへ進出し、開戦後の12月12日にはフィリピン・レガルソン島南部のスピー上陸作戦に参加しています。
フィリピン・レガスピーから見るマヨン山(引用:Wikipedia)
(コンピュータが読み取れる情報は提供されていませんが、Nopiraだと推定されます(著作権の主張に基づく)
- コンピュータが読み取れる情報は提供されていませんが、自分の作品だと推定されます
(著作権の主張に基づく), パブリック・ドメイン,
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1734421による)
その後も内地と南洋の間の輸送任務に従事しますが、昭和17年5月には帝国海軍から解傭されますが、その後の軍の要請と思われる内地と樺太・朝鮮半島との航路に投入されます。
昭和17年12月になると今度は帝国陸軍に徴傭され、パラオ・トラック環礁などへの輸送任務に従事し、昭和18年3月からは一転して北海道・小樽と千島・幌延島の間の物資輸送等に投入されることとなります。
現在の幌延島・後鏃岳(引用:Wikipedia)
(敷香 - 敷香(会話)が撮影, CC 表示-継承 3.0,
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=126176849による)
そして、昭和18年6月24日15時に千島・松輪島へ向け小樽を出航、26日19時には松輪島東岸の盤城島沖に到着し、翌日の入港に備え滞泊することとします。
現在の松輪島(引用:Wikipedia)
(User:Eliezg - en.wikipedia, CC 表示-継承 3.0,
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2782209による)
しかし、連合国軍の潜水艦にれら割れる可能性があることから、海岸寄りに移動した際に、暗礁に乗り上げてしまいます。
「神龍丸」は単独での離礁作業を進めますが功を奏せず、波浪が高まってきたことから乗船部隊を下船させようとしますが、波浪のためか揚陸は不発に終わります。
離礁できないままとなっていた、6月29日の0時30分頃、積荷のガソリンに引火し突然爆発が起こったことから、急遽総員退船指示が発せられます。
1時頃には火災が他の積荷の弾薬等に引火し大爆発が発生、炎上した「神龍丸」は波間に消えていきました。
この「神龍丸」の爆沈により船砲隊97名、船員32名が犠牲となっています。
なお、米国海軍の記録によると、当時この付近で行動していた潜水艦「ランナー (SS-275))」が「神龍丸」を撃沈した、とされているようですが、これは事実とは異なるようです。
米国海軍・潜水艦「ランナー(Runner、SS-275)」(引用:Wikipedia)
(パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=108407)
大東亜戦争中には、座礁や衝突などの事故で喪失した船舶も少なくありません。
なかには、民間船舶と衝突して積荷の爆雷などが誘爆し沈没した一等駆逐艦「白露」(作戦行動中の衝突事故で喪失した一等駆逐艦「白露」)などの例もあります。
ただ、座礁後に船体が損傷して放棄された例や、座礁中に空襲により撃沈された例はそれなりにありますが、座礁中に積荷が爆発・炎上し沈没した例は珍しいと思い、取り上げてみました。
「神龍丸」の写真は少ないことから、関係する土地の写真を掲載しましたが、なぜか山ばかりとなってしまいました。
「神龍丸」の爆発・沈没で犠牲になられた方々に哀悼の誠を捧げ、今回のブログを終わります。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
【参考文献】
Wikipedia および
「日立造船百年史」1985年3月、日立造船
※国会図書館デジタルコレクション 書誌ID:000001772994
【Web】
HP「大日本帝国海軍特設艦船DATABASE」










