艦艇・船舶つれづれ

艦艇・船舶つれづれ

旧帝国海軍および海上自衛隊の艦艇、海上保安庁の船艇、主に戦前の民間船舶を中心としたブログです。
「海軍艦艇つれづれ」からタイトルを変更しました。

本日は、午前中にシステム関係の設定作業があり、親会社に行っていました。

システム設定や変更作業は、ユーザーが休日となる土日や長期の休日に実施することが通例で、昨日アップデートしたシステムのマスタ設定を、親会社のシステム担当者と2人で行いました。

昼は、近くの街中華へ。

 

中華料理「味悟空・三国店」の麻婆豆腐定食

 

無事作業も終わり、昼過ぎに引き揚げました。

 

今回は、11月26・27日の東京出張と、そのついでの散策(出張、東へ!大阪へ帰ります浸水・着底した月島橋の「青い船」越中島に現存する国内唯一の「鉄船」東京海洋大学・越中島キャンパスを廻る)の最終回です。

 

JR京葉線越中島駅から京葉線に乗り新木場駅へ、ここで東京臨海高速鉄道・りんかい線に乗り換えて天王洲アイル駅へ。

ここから北に向かい、天王洲大橋に差し掛かると対岸に年代物の船が見えてきます。

 

天王洲大橋の南詰から・左は天王洲水門

 

天王洲大橋を渡り、左に折れて天王洲運河沿いを進み、右に折れると東京海洋大学・品川キャンパスの裏門にたどり着きます。

 

裏門にあった東京海洋大学・品川キャンパスの地図

 

まっすぐ進んでいくと、先ほど見えていた船が見えてきます。

 

旧農商務省水産講習所・練習船「雲鷹丸」

 

ここにも帆装を持った船が保存されています。

近くに説明版がありましたので、少々長いですが内容を見てみます。

 

「雲鷹丸」の説明版と登録有形文化財の碑

 

『雲鷹丸(UNYO MARU)

 登録有形文化財(登録番号13-0042号 平成10年12月11日登録

 長さ 136フィート 2インチ(41.2メートル) 総トン数 444.25GT

 幅    28フィート 6インチ(  8.7メートル) 3連成汽関303馬力…1基

 深さ   16フィート   7.5インチ(  5.0メートル) 汽缶…2基 搭載艇…6艇

 最大搭載人員:81人(職員:15人 部員:26人 学生:40人)

 造船所:株式会社大阪鉄工所 桜島工場(1909年5月12日竣工)

 雲鷹丸は、東京水産大学の前身 農商務省水産講習所の第2代練習船である。初代練習船 快鷹丸(木造帆船 総トン数137.66トン)からその用務を引継ぎ、1909年5月30日出帆の第1次航海から1929年8月までほぼ20年間就役した。第33次航海を終了後に第3代練習船 白鷹丸(鋼製汽船 総トン数1,327.78トン)に実習航海を引継ぎ、当時の母校所在地であった越中島岸壁において係留練習船として学生の実習に供された。第二次世界大戦終了後の混乱期を経て、さらに学舎の移転等の諸事情により整備・管理が不十分なまま放置されていたが、昭和37年に喫水線上部の船体が現在の所在地に移転され、マスト・ヤード等の復元、船体及び諸設備の補修が加えられ、現在に至っている。

 雲鷹丸の原型を再現するためには多くの補修及び整備が必要であるが、水産資料館に展示されている資料及び記録等が現役時代の英姿として参考に供することができよう。

 雲鷹丸は、学生の教育・実習を目的とした練習船であったが、試験操業、海洋調査等多目的の調査研究船としての機能を兼ね備え、北洋及び南洋海域を含む広大かつ長期にわたる遠洋航海の航跡を残し、我国の水産業の発展・振興に多大なる貢献をした。これらの実績が評価され、現在この地に船体保存という形で継承されている。

 雲鷹丸で実習航海を終了した600余名の卒業生は、練磨された操船法・漁法のほか、基礎的な学理に基づく技術革新の知識を修得し、実社会に送り出された。そして彼らは、日本の漁業界を啓発主導し、幾多の航跡をあげ、社会・産業の発展に大きく寄与した。また、搭載された最高水準の漁撈および観測機器による調査研究の成果は、海洋、漁場等に関する科学の基礎を確立するとともに、操船技術の革新、漁具、漁法の改良、開発等に活用された。また、船体構造、材料及び艤装仕様並びに運用要領等は、現在も貴重な海事史的価値として評価が高い。

 雲鷹丸は、1998年12月11日付けで文化財保護法の規定に基づく登録有形文化財に指定され、東京水産大学の教材・研究資料としてのみならず、国民全体の文化資産としてここに保存されることになった。』

 

船尾側から見た「雲鷹丸」

 

この日の「雲鷹丸」は、修繕工事中で作業用の車両や作業員の方々の姿が見られました。

 

「雲鷹丸保存修理」の工事中看板

 

工事中のため右舷側に回ることと上甲板に上がることはできないので、地上から「雲鷹丸」を見てみます。

 

船首側へ回ってみます。

 

「雲鷹丸」の左舷船首側

 

錨も併せて展示されています。

 

「雲鷹丸」の左舷後部側

 

船首側にも船尾側にも船橋が見られません。

和船から様式船へ移行していく過渡期の船型となっているようですね。

 

「雲鷹丸」は、船体の喫水線より上が残されているとのことなので、船体そのものは明治42年に建造された当時のものだと思われます。

明治42年というのは、日露戦争が終結した4年後で、帝国海軍では巡洋戦艦(竣工時は一等巡洋艦)「伊吹」が竣工した年になります。

 

明治42年6月23日・公試を行っている一等巡洋艦「伊吹」(引用:Wikipedia)

(パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1053726)

 

帝国海軍の艦艇が急速に近代化していくこの時期に、漁船はまだ近代化が遅れているようにも見えますが、練習船を引き継いだ「白鷹丸」は、帆装を廃止し船橋を備えるなど、急速に近代化されています。

 

旧農商務省水産講習所・練習船「白鷹丸」

(不明 - 『水産講習所一覧 昭和11年』(農林省水産講習所、1936年), パブリック・ドメイン,

 https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=123828090による)

 

 

なお、「雲鷹丸」は国産鋼製船舶としては現存する最古の船であることも、登録有形文化財に登録された理由の一つではないかと思います。

 

品川キャンパス内にある「マリンサイエンスミュージアム」には、現役時代の「雲鷹丸」の解説と写真、また大型模型が展示されています。

 

「雲鷹丸」の船上における船速測定風景

(引用:「マリンサイエンスミュージアム」展示)

 

カムチャッカ・ナタリー湾における現役時代の「雲鷹丸」

(引用:「マリンサイエンスミュージアム」展示)

 

なお、「マリンサイエンスミュージアム」には歴代練習船の模型や写真、海洋生物の剝製、鯨やシャチなどの骨格標本、漁具などが展示されています。

 

「マリンサイエンスミュージアム」入口に展示されている捕鯨銃

 

「マリンサイエンスミュージアム」レファレンスルームにあるシャチの骨格標本

 

「マリンサイエンスミュージアム」ロビーの練習船「雲鷹丸」模型

 

「マリンサイエンスミュージアム」内の展示は個人利用のみ許可されているので、写真はアップしませんが、珍しいものも多く「さすが東京海洋大学」といった内容でした。

 

東京海洋大学・品川キャンパスの看板

 

この後は、JR品川駅まで徒歩で移動します。

途中、15時前になって遅めの昼食を。

 

「すき家 港南二丁目店」の牛すき鍋定食

 

そして、帰りの新幹線では定番の。

 

「贅沢粗挽きサラミ」とビール

 

この日は「東京海洋大学廻り」の様相を呈しましたが、越中島キャンパスでは「旧東京商船大学」における商船船員を養成するための教育現場を、品川キャンパスでは「旧東京水産大学」における漁船員や水産業の従事者を養成するための教育現場を見ることで、気付かされることが多く勉強になった一日でした。

しかし、東京海洋大学、登録有形文化財の船を2隻も保有するとは、恐るべし!

 

これにて、令和7年11月26・27日の東京出張とその

 

【参考文献】

  Wikipedia