本日は、家族4人が揃って何もない日だったので、家族で近場へ車に乗ってお出かけ。
向かったのは、岸和田市の道の駅「愛彩ランド」
道の駅「JAいずみの 愛彩ランド」
野菜や花卉などの地場産品がお手頃価格で直売されているので、野菜を買い込んだついでに弁当も購入し、屋外のベンチで早めの昼食にしました。
「愛彩ランド」の「トンカツ・エビ弁当」
この後、少し移動し和泉市の「和泉リサイクル環境公園」へ。
菜の花と水仙がきれいに咲いていました。
「和泉リサイクル環境公園」の菜の花畑
「和泉リサイクル環境公園」の水仙
広い土地で他にも色々な花が咲いており、いつ行っても落ち着ける場所です。
話は変わって、今回は、令和8年1月24日に訪れた大阪・藤井寺についての散策記となります。
藤井寺市は、近鉄南大阪線沿線の内陸の街になります。
ですが、「船」があるようなので見に行くこととしました。
南海沿線からは、「新今宮」駅でJR大阪環状線・内回りに乗り換え、JR「天王寺駅」へ。
ここから歩いて対面にある「大阪阿部野橋」駅で近鉄南大阪線に乗り換えます。
準急で20分弱、「藤井寺」駅に到着です。
駅の写真を取り忘れたので、Wikipediaからお借りします。
近鉄南大阪線「藤井寺」駅(引用:Wikipedia)
(Photo by 663highland, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=63251717による)
駅から南下していくと、市名の由来となった「ふじいでら」があります。
葛井寺「南大門」
この寺院は「葛井寺」と書いて「ふじいでら」と読みます。
説明版がありましたので、内容を見てみます。
「西国第五番札所 紫雲山葛井寺」
『西国第五番札所 紫雲山葛井寺
河内飛鳥時代に百済からの渡来者によって繁栄したこの付近に工仁一族の辰孫王が葛井連を改姓し氏寺として創建した。
葛井宿弥-葛井給子-葛井道依-藤継子(平城天皇妃)-阿保親王-在原業平と次々に葛井氏系により伽藍の建設がなされた。勧進帳によると当時は約2KM平方の境内に東西両塔がそなわり七道伽藍を有していた。
神亀二年(725)聖武天皇が稽文会と稽主勲(春日仏師)父子に命じて千手観音菩薩を造像させた。その入佛開眼法要には藤原朝臣房前を勅使として僧行基菩薩を導師として勤められ紫雲山金剛琳寺と勅号を下された。
南北朝時代には後醍醐・後村上天皇を帰依され楠正行公が正早二年(1347)自軍七百余兵を率いて当寺に屯し細川顕氏七千の兵を破った「藤井寺合戦」この時大般若経六百巻を書写して守刀一振、非理法権天の菊水族を奉納し戦勝祈願を行なっている。
花山法皇(第六十五代天皇)西国観音霊場進禮され当寺に奉拝されるや
参るより 頼みを可える ふぢい寺
花のうてなに 紫の雲
と詠まれました。
永正七年(1510)八月八日 大地震により伽藍諸堂倒壊す。
閏年十一月諸国に大勧進し修復に興す。
文化財
十二面千手観世音菩薩 国宝 天平時代
四脚門 重文 桃山時代
金銅宝塔 府重文 鎌倉時代
紫雲石燈籠 府重文 鎌倉時代
聖観世音菩薩像地蔵菩薩像 平安時代 』
葛井寺「本堂」
国宝「十二面千手観世音菩薩」(引用:Wikipedia)
(Association of Cultural Properties、Japan - Portfolio of National tresures Volume 3rd,
Association of Cultural Properties, Tokyo, 1955-03-20, パブリック・ドメイン,
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=74856780による)
本題にたどり着くまでに、「葛井寺」が長くなりましたので、この辺りで本題に。
「葛井寺」からさらに南に向かうと、不思議な形の建物が目に入ってきます。
「アイセルシュラホール(藤井寺市立にぎわい・学び交流館)」入口側
とりあえず、中に入ってみます。
リーフレットを見ると、中には図書館、歴史展示コーナー、生涯学習センター、公民館などが入居する4階建ての建物です。
「アイセルシュラホール」のリーフレット
ここは世界遺産「百舌鳥・古市古墳群」のうち「古市古墳群」の所在地ですので、「歴史展示コーナー」では古墳の紹介があります。
円筒埴輪の棺
水鳥形埴輪・衣蓋型埴輪・盾形埴輪
「岡古墳」より出土した日本最大の「船形埴輪」
前方後円墳が解説されている大型模型もありました。
前方後円墳の巨大模型
で、いつになったら「船」が出てくるのか?
確かに「日本最大の船形埴輪」は出てきたのだが…。
では、建物の外に出てみます。
「アイセルシュラホール」の外壁
外壁は木材が張られているようです。
大きすぎるので、少々離れて全体を見てみます。
「アイセルシュラホール」の全景
先ほど同じような形をしたものを見ていませんか?
そうです、この建物は丘古墳から出土した「船形埴輪」を模して建造されたものなんです。
船を側面からみることができる場所まで移動します。
「アイセルシュラホール」の左舷側
左舷側および船主側には堀が作られており、水面に浮いているようなイメージとなっています。
「アイセルシュラホール」の入口は、船形埴輪の「船尾側」に当たります。
内陸にある「巨大な船」の正体は、この「アイセルシュラホール」でした。
よくこんな形の建物を建てたものだと感心します。
なお「アイセルシュラホール」という不思議なホールの名称は、Activity(活動)、Information(情報)、Consultation(相談)、Exchange(交流)、Learning(学習)のそれぞれの頭文字を並べ「愛せる」にかけたものと、三ツ塚古墳で出土した古墳時代の巨石運搬用橇「修羅」を足し合わせて「アイセルシュラ」とされたようです。
ということで、次は「修羅」を見に行かなければ!
船形古墳「アイセルシュラホール」を離れて、次の場所へ向かいます。が、長くなってきたので、この先は次回といたします。
この後もお付き合いいただければ幸いです。
船首正面から見た「アイセルシュラホール」
【参考文献】
Wikipedia
【Web】
HP「葛井寺」
https://www.fujiidera-temple.or.jp/


















