本日も暑かったですね。
外に出るのも嫌になるので、家でPC内のデータ整理をしていたら懐かしいものが出てきました。
MS Access97で作成した「艦艇要目データベース」
今から28年ほど前に、仕事でどうしてもMS Accessで簡単なデータ管理アプリを作らなければならなくなり、その練習として作成したものです。
項目を選択し、「検索」ボタンをクリックすると、一覧が表示されます。
艦名一覧画面
上の表の左側がボタンになっているので、選択するとこんな内容が表示されます。
「艦艇要目表」
この画面から艦艇の追加や要目の編集もできるようになっています。
このデータベースのデータを入力するのに、「世界の艦船」別冊を底本にし、ベースができるまで1年以上かけたように思います。
このツールは必須入力項目が多かったので、一部ダミーのデータが入っているのが難点です。
現在のMS Accessでもある程度動きますが、当時の設定のままでは動かない部分もあります。
このため、今ではこのデータベースを基にしたExcelシートでデータ保管しており、たまに手入れをしています。
項目の記載にばらつきがあるので本格的にきれいにしたいのですが、目も見えなくなり、時間も取れず…。
話は船に変わって、今回は海防艦を取り上げてみたいと思います。
海防艦「石垣」は「占守」型海防艦の4番艦として、昭和14年8月に岡山県の玉造船所で起工され、翌15年9月に進水、昭和16年2月に竣工しています。
【要目(新造時)】
基準排水量:860トン、全長:78.00m、水線幅:9.10m、公試状態吃水:3.05m
機関:艦本式22号10型ディーゼル機関×2、推進軸:2軸
出力:4,500馬力、速力:19.7ノット、乗員数:147名
兵装:12cm45口径単装砲×3、25mm連装機銃×2、94式爆雷投射機×1、
3型爆雷装填台×1、爆雷投下台×6、95式爆雷×18
※引用:世界の艦船「日本海軍護衛艦艇史」増刊第45集、No.507、1996年2月、海人社、P8
海防艦「石垣」(引用:Wikipedia)
(大日本帝国海軍 - 潮書房刊「丸スペシャル・海防艦」, パブリック・ドメイン,
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=42236813による)
「石垣」が竣工した当時、帝国海軍では「海防艦」は「戦艦」「巡洋艦」などと同じ「軍艦」籍にあり、「駆逐艦」「潜水艦」などよりも上位艦種とされていました。
一等駆逐艦の半分強の排水量であるものの、艦首には菊の紋章が掲げられていました。
「石垣」の属する「占守」型の海防艦は。北方警備に運用していた明治期に建造した旧式艦艇を置き換えるための小型艦として建造したこともあり、「軍艦」とされていたのも頷けます。
「石垣」と同型の「八丈」の艦首に取り付けられた菊の紋章
(引用:Wikipedia・加工)
(大日本帝国海軍 - 潮書房刊「丸スペシャル・海防艦」, パブリック・ドメイン,
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=42236773による)
竣工後の「石垣」は、その建造経緯に合わせて大湊要港部に編入され、大東亜戦争開戦時には千島防備部隊に所属し、同方面での警備や船団護衛などに従事しています。
昭和17年7月には「海防艦」は「軍艦」から除かれ、「海防艦」として独立し、艦首の菊の紋章も取り外されました。
昭和18年 10月8日には、阿頼度島沖で浮上中の米国海軍の潜水艦「S-44」と砲戦となり、撃沈しています。
米国海軍潜水艦「S-44」(引用:Wikipedia)
(パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=885310)
なお、この「S-44」は、第一次ソロモン海戦で一等巡洋艦「加古」を撃沈した潜水艦で、「石垣」は「加古」の仇を取った形となりました。
昭和19年1月からは、一転して南洋方面で運用されることとなり、2月4日にはトラック島へ進出し、船団護衛に就いて2月29に横須賀に帰投した際に、再度北方の船団護衛等に運用されることとなり、大湊要港部に復帰します。
そして昭和19年5月31日の未明に、小樽へ回航される輸送船団を護衛し松輪島を出航します。
そして、5月31日の午前中に濃の中を航行中の「石垣」と輸送船団は、米国海軍潜水艦「ヘリング(SS-233)」のレーダーにより発見され、11時頃に「石垣」は「へリング」の雷撃を受け艦首を失います。
米国海軍潜水艦「へリング(SS-233)」(引用:Wikipedia)
(不明 - 不明, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2578060による)
被雷した「石垣」は「へリング」に対し爆雷に攻撃を行いますが、11時30分頃に霧に包まれた海中に没していきました。
なお「へリング」は松輪島の大和湾に侵入し日本の貨物船2隻を撃沈しますが、湾深くに入り込んだことで座礁したことから、浮上して離脱を図ります。
これを発見した陸上砲台から「へリング」に対し12.7cm高角砲、12cm砲、8cm高角砲などから総攻撃を仕掛け、司令塔に二発命中させます。
その後、松輪島の守備隊では「ヘリング」について、「水泡が5m幅の範囲を覆い、重油がおよそ25mを覆った」ものの、「潜航不能トナラシメタルコト確実ト認ムルモ撃沈スルニ至ラズ」とも記録を残しています。
「石垣」の撃沈により、1名を除く乗員166名が犠牲となっています。
現在の松輪島(引用:Wikipedia)
(User:Eliezg - en.wikipedia, CC 表示-継承 3.0,
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2782209による)
82年前の5月31日、今は北方領土として露国との係争の地でもある松輪島の沖で霧の中に消えていった海防艦「石垣」。
なお、「石垣」の写真は、このWikipediaの出典である「丸スペシャル・海防艦」のこの写真(福井静夫氏の「日本海軍全艦艇史では「占守」と推定されていますが)しか見つけることができませんでした。
このブログでは一度「石垣」を取り上げていますが(千島列島に没した南の島の名を持つ海防艦)、今一度別の視点から取り上げなおしてみました。
海防艦「石垣」で犠牲となられた英霊の方々へ哀悼の誠を捧げ、今回のブログを終わります。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
【参考文献】
Wikipedia(英語版含む) および









