『教育界』と一言で言っても、それは大学までを含めた全体の話になる。

 

『多様性が叫ばれて久しい昨今』という言葉も使い古された感がある今、

 

果たして、今まで通りの学校の在り方で今後も良いのだろうか?という疑問提起。

 

(恐らくだがこれも議論され尽くしている話題だとは思うけれど……)

 

 

例えば、『不登校』という言葉。

 

今現在、小学校中学校合わせて30万人近い子どもたちが不登校であるとされている。

 

 

 

 

ただ、現代はもうインターネットがほとんどの家庭に行き届いているし

 

コロナ禍にあって学校そのものに行けなかった頃は

 

当時小学1年の上の子もオンラインで授業を受けたりしていた。

 

 

何が言いたいか、と言うと

 

つまり事ここに至って”不登校”の本質は、

 

子どもの身体が学校に無い

 

というだけなのだと思う。

 

 

もちろん、社会という大海原へ繰り出す前に

 

子どもたちが集団生活を学べる場というのは必要だし、

 

人付き合いのベースは、現実世界にしかないからだ。

 

相手がどんな感情を抱いているのか、とか。

 

何処まで踏み込むと他の誰かは怒るのか、とか。

 

どういう風に頼むと他の誰かは動いてくれるのか、とか。

 

そういった処世術みたいな部分は

 

直接肌で感じることが最も重要であると思っているし

 

リアルの場でしか得られない経験がたくさんある。

 

 

しかしそう考えた時、

 

なにも、『学校』という場に囚われる必要も無いのではないだろうか?

 

 

それこそ、これからはAIの時代であることは言うまでもなく

 

その内に学習面に於いても、確実に台頭してくるし

 

なんならそれによって学習進度も深度も、個別最適かされるだろう。

 

基礎学力定着にはウッテツケだろうし

 

そもそも、”学力”という言葉も今や時代に即していないと言えないだろうか。

 

では、例えばそうなった時。

 

その時求められる ”学校の役割” とは、一体なんなのだろうか???

 

 

恐らくは、今よりも地域に根ざした、小さな共同体が幾つも出てきて

 

そこではむしろ本質的な『生きていく力』みたいなものが求めれられると想像する。

 

 

しかし、それを実現するには、『社会の在り方』みたいなところが重要になってくる。

 

社会がどんな人間を育てたいか、とまで言うと大げさだが

 

現代社会においても、どういう人間を求めているのかよく分かっていない気がする。

 

 

そもそも昨今は技術の進歩発展も著しく

 

そこに旧態然とした現状の教育界がタイムラグなく

 

追いついていくのは至難の業であることは容易に想像できる。

 

そこについては頑張っていらっしゃるとは思うけれど……。

 

 

ということは、教育界自体が生まれ変わる必要があるということ。

 

その前に更に重要なのは、社会の方が変わる必要性。

 

様々な部分での評価基準だったり、企業体の存在意義の再確認だったり。

 

 

教育とは、その国の「未来」を左右する根幹であるが故に

 

本来は一番変化を求められる部分であると思うが

 

これまで教育界が大きく変わったことは無い。

 

と思う。変わってたらスミマセン……。

 

まあ、変わっていないから

教員の精神疾患での休職者が6000人を超えてしまうのだろう。

 

 

 

どんな組織でもそうだが、マネージャー帯がやはり古いままでは

 

ドラスティックな変革はそうそう起きない。

 

かといって、若手を登用しようとしても

 

現状、若手のどんどん母数が少なくなっている以上

 

下手に上へ連れて行ってしまうと現場が混乱してしまう。

 

 

むーどうしたものだろうかー

 

なんてことを、カミさんの話を聞きながら思ったりするのだった。